周ELCAN50mmF2

フードは新elmar 50mmF2.8のものが余っていたので使用してみた。フィルターを挟んでもケラれはない。しかしせっかくの小型レンズがかさ張ることになるため現実には使わないだろう(案外逆光にも強い)。90mmと同様あまり使わないレンズが大きいのは携行に負担がかかるので小型が良いのである。

ボディは一番気難しいLeica M9である。2010年から長く使ってきたカメラで癖が分かっているからである。これ以降のM240系やM10系なら更に良い画像となるだろうが原点はM9ということである(AWBが青いのはM9の交換センサー&ファームウェアの個性だ)。天候不順で晴れたり曇ったりで画像はバラバラになった。さて周ELCAN50mmF2は4枚玉でヌケは良いが絞り開放F2では中央部を除いてふわふわの絵となり(中央に主題を置き、まわりは深度ボケと収差ボケを利用するという手もある=つまり汚いボケではない)F2.8にすると全体に良くなり、あとは絞るほどに像は締まってくる。F11になると回折の影響が出てエッヂが丸くなる。

上の切り出し...F2.8でこれだけ解像すればOKだ。背景のボケ味も悪くない。summicron 50mmF2には勝てなくても新elmar 50mmF2.8とは互角だろう。古い時代の設計としては上出来だ。

少し距離をとって...やはりF2.8、切り出しはしないが遠景もスッキリ写る。

上の切り出し...甘さもあるがボケているわけでもない。この時は曇っていてメリハリがないが、原画では壁の小さな凹凸まで解像していた。

1m/F5.6での撮影...やはり50mmとなると近距離のピント合わせには慎重になる。多くの場合(私の)50mm/90mmは中距離~遠距離での撮影がほとんどなので近距離だとピントが薄くなるのを意識してしまう。

真ん中の切り出し...ピントは中央のキンカンだ。あとは僅かな前後でフォーカスがズレるため分かりにくくなるが、ここで見る限り良い描写である。いつもの1mの蔦の撮影(今は枯れている)と勝手が違う。

1.5m/F2.8で庭のサザンカの根方を撮る...M9のAWBはこの状況なら比較的自然だ(あくまで記憶色)。

また切り出すと、良い感じに再現されていた...使えるレンズ・ボディだ。

ちょっと太陽が出てきたので苦しい逆光撮影...まともな太陽ではないが、この位置でこの程度のゴースト・フレアなら問題ないだろう。周八35mmF2と違ってオリジナルと比べられないので、少しはコーティングなどに改良があると見た。

 

柘榴へ②

山中にあったのは「養蜂」の巣箱である。今はシーズンではないため蜂も養蜂家もいないが、春になればまた戻ってくる。柘榴の人たちが養蜂をしているのではなく、旅の養蜂家が花の季節に南から花を追って北へ向かっていくのだ。写真の2基だけではなく林の奥まで何基もある。道路のできる前は完全な山中だった...バスの窓からいつも見ていて気にかかっていた。ある種の権利が認められてこのような中途半端な道が幾本もある。軽トラが停められる程度の舗装だ。

道路との境には竹を倒しただけの結界がはってあり、無理に通る人はいない...私のようなもの好きだけだろう。蜂の季節には危なくて入れない。

さてもとへ戻る...河岸段丘上の農地は今も耕されている。向こうの丘には近鉄電車が延伸されることになっているが、まだコースは確定していない...どこに新駅ができるのかは利害が大きく絡んでいて話が前に進まないようだ。そう言っているうちに人口の減少が始まり、近鉄も赤字が増える予想で延伸に消極的である。

国道の交差点に下りてきた。どれほどの効果があるのかは分からないが大型の広告看板がたくさん建っている。

そして柘榴の旧街道に入る...新道との追分には、なにやら「宝塔」の碑が建っていて領地の主張が感じられる。奈良側と異なり、よそ者の入る余地はない。土地はいくらでもあるのだが、豊かな地主たちは簡単には売らない。

柘榴へ①

昨日の午後、天気が良くなったので隣村への1時間の写真散歩をした。またFUJIFILM GFX50Rで撮る...短時間短距離なら充分以上に使える。44判は35mmフルフレームより格段にプロフェッショナルな意味での満足感が得られる絵が出てくる。地区の東外れの無人の家の石垣だ。八朔・レモン・みかんなどが収穫もされず枝もたわわに成っている。

集会所に車を停めて西へ向かう...道は狭く凸凹だ(この道が好き)。この程度の逆光ならほとんど問題ない(+FUJINON GF30mmF3.5)。

ずんずん地区の真ん中を歩いていく。お屋敷が多く今は人口が減っているが昔日の繁栄が想像できる。現在は国道沿いに店ができ、近くに新線の駅もできて、やや繁華な隣接地もあるが50年前は田畑が続くなかにポツンポツンと河岸段丘上に集落があった、その風景を知っているのである。写真家は見たものしか撮れないため、いかに多くを見るか記憶するかは大事なことなのである。

地区の西外れに到達、電柱にたくさんのカラスが止っていた。この先50mで奈良県境である。

少し高台に登ってみる...画面左から歩いてきた。右が奈良県で、店や住宅地、駅がある。左の京都府側は昔とあまり変化がない。

地区の裏山に入ってみた。ほとんど人の出入りはなく落ち葉だらけである。以前から気になっていたが、この先に面白いものがある。

レンズだけで20万円もするが、ボディも含めてそれだけの値打ちはある。50Rの後継機はどうなっているのだろう。動画も要らないし、重く複雑になるため手振れ補正も要らない。

 

春日神社へ①

昨日、松の内の最後を飾って我が町唯一の国指定の重文「春日神社」へ行ってみた(各シリーズは①ばかり)。まずは下狛駅近くの旧片町線(主として軍事路線)の鉄橋跡を見学...現在の片町線(学研都市線とも云う)は画面の左に移っている。橋の跡は確かに整備れているが、景観は著しく良くない。要するに小規模な開発により私の立っている前後左右にミニ住宅地が無計画に建っているのである。私は町会長をしていた時に町長とも会っているが、ともかく「開発、開発」である。文化行政は極端にレベルが低いのは残念としか言えない。

そして川を少し下って、木津川の氾濫原(今は田畑)に近い場所に春日神社を訪ねる。正月は拝殿の扉を開けて(2年前に祀った)多くの参拝者が祀るのだが、おそらく三が日だけなのだろう、施錠されていて拝殿前までしか行けない。約30分滞在したが誰一人来なかった。敷地は広いが正式の駐車場もなく氏子の人影も見えない...重文指定が情けない。

拝殿の隙間から本殿(重文)をのぞく。もちろん監視カメラは動いている。

我が町の神社では圧倒的に牛頭天王信仰が強いが、ここや近在の分社も含めて付近は春日系の版図であったことが想像できる。木津川の対岸旧山城町にも春日神社はある。他には見られない「石信仰」や鹿の像など。

ずいぶん昔に鎮守の森の開発(開発と云うより地元民の公園化)がなされた跡も放置されたままである。遊歩道と花壇の跡である。

ちょっとした築山には東屋が建っていた。今は境内のどこも落ち葉だらけで歩くのは困難だ...世話をする氏子達もいないようだ。なにしろ周りは新興住宅ばかりである。今度町長に会う機会があったら具申したい。

今回のカメラはこれだ...大きいので扱いは大変だが、歩きながらでもなんとかなるレベルである(持った感じは昔のフジカのRF69判などとそっくり)。このあと1時間ばかり近在の家並(もちろん旧村部)を歩いたが問題なし...FUJIFILM GFX50S-IIも持っているが取材にはこちらが使いやすい。しかし35mm判フルフレームより圧倒的に絵の質が上がる。まずは良いカメラと云える。

 

打田へ ①

このところ多忙で各シリーズが①から進んでいないが、いずれ加えるつもりだ(時間が開きすぎると終了となる)...今日は市境を超えて(と云っても車で10分)京田辺市打田(うった)地区を1時間半程度歩いた。まずは地区の中心西明寺須賀神社だ。天気は良好、pm3...。

カメラはLUMIX S5(LUMIX S 20-60mmF3.5-5.6キット)を使った...S5-IIが出た後、S5は極端に値下がりがしたので買ってみたがチャンスがなく、テスト半分で持ち出したのである。

須賀神社の物置、立てかけられた箒を見ても分かる通り村人によって境内の掃除は行き届いている。LUMIX S5はAWBに不安があり、記憶色とEVFの色とPCモニターの色に差がある...つまりEVFで見ると青みがあり、再現されると自然ならず、特にシャドウ部が青みが強くなる。これはボディの設定を煮詰めると改善されると思われるが、EVFの青さと暗さ(EVFの明度を最大にしてもやや暗い)には不安を持つ。ここでは画像処理をして記憶色に近く補正をしている。

物置の横に回ると玉ねぎが干してあった。玉ねぎは掘りたては水っぽくおいしくないので、かならず干してから食べるのだが、ここのは干し過ぎてかさかさになっていた。

正月なので主神の牛頭天王も化粧をしてもらっていた。我が町と同様、牛頭天王信仰(祇園さん)が強い。

後ろを振り返ると神楽舞台の上に彫り扁額が掛かっていた。珍しいもので、どうみてもライオンの顔にしか見えない。いわれも何も分からない...何度も来ているが毎回違う発見がある。これは60mmで撮影、十分な解像と平坦性がある。

まだ慣れていないがLUMIX S 20-60mmF3.5-5.6レンズは便利なようで私にとっては使いにくいと感じた。20mmではパースがつき過ぎてワイド側は24mmの方が使いやすく、より一般的な24-70mmの方が全体としては良さそうである。もちろん「慣れ」が大事で使っていくことにより違った評価となる。Lアライアンスレンズはこれ以外にLUMIX 14-28mm/SIGMA24mm/SIGMA 90mm(これは今年のふるさと納税返礼品でもうすぐ来る)と持っているので、24mm + 90mmなんて言うのが良いかも知れない。更にNikon Zfを主力に使っている現況では26mmㇾンズだけで十分だとも感じている。

 

奈良、北町散歩 ①

「フィールド写真講座」の3回目で奈良を歩いた。普通は奈良公園あるいは奈良町を通って東大寺春日大社となるのだろうが(そのルートは過去2回行っている)、今回は私の好んでいる北町から行ってみた。

ここは古くからの住宅地で鍛冶屋町などの職人の街でもあった。いまは再開発が進み(それでも観光化ではない)奈良女を中心とした学生や若者の集まる街で古くからの町並みと新しい風景が混在している。

キリスト教会前に新年の飾りが出ていた(キリスト洗礼の場面=公現祭)...このあと教会の人が出てきて片付けていた。町並み自体は変わっていないので新しい建物も「うなぎの寝床」で、どこも間口が狭く奥行きが深くなる。

若者の街らしい「落書きカフェ」、その向こうに木造の長屋があったりして不思議な空間がある...筆者は50年程度前から奈良の町を見ているので、その変化に一喜一憂である=良くも悪しくも変化は大きい。しかし比較的スムーズに変わっているように思われる。

更に奈良女子大学に近づくと女子大生らしい人が増えてくる...純粋の観光客は歩いていない。日祝日でもこんなもので東大寺に行くにはこちらが快適である。

学生の街にふさわしく、個人経営の書店が今も続いている。昔からの本屋さんは今は少なくなってしまった。残念ながら私に関係のある学術関係の出版社も徐々に減っている。

今回もこの組み合わせで歩いたNikon Zfは26mm以外は使ったことがない。あわせてアダプターを介して小型の90mmを持つのが最良の選択と思われる。

 

初詣の③

天王神社のあと初詣のハシゴをした...近所だが行ったことのない(道が狭い)地区のお寺へ。地区の檀家寺である浄土宗寶住寺、さすがに1/4となると他所からは勿論、地区の人の出入りもなかった。

境内にここの本尊「薬師地蔵」のレプリカが祀られていた。薬師如来はよく見かけるが薬師地蔵というのは珍しい。

本堂は新しい建物だが、一部に古い部材も見えていて、お寺ではよくあることだが建て直すときに使える部材は使う(倹約のためではない)例である。境内の向こうは広い木津川の氾濫原が広がり(現状は田圃)、見えているのは堤防付近の自然林である。

神社ではないため正月の飾りはごく控えめである。

寺の裏側に回ってみた。予想通り河岸段丘の端に立地していた。ここより左にムラの家々が建ち、右は護岸などない数メートルの段差が向こうまで続いている。過去にはここまで水が来ていたということである。

段丘上から撮影...段丘の斜面には土壌の流出止めに果樹がたくさん植えられていた...もちろん自家消費用だ。今は収穫しているのかどうか? 向こうが氾濫原の田圃(今でも洪水の危険はある)、その向こうの白い線(河川敷道路)が見えるのが現在の堤防だ。44判の30mm(24mm画角)でF5.6、手前5mの八朔にピントを合わせていても遠方はボケる。

ボケ味はワイドとしては悪くないが、逆に深度が浅くなるためにパンフォーカスの写真を撮るのは難しくなる。小フォーマットカメラに大口径レンズでも良さそうだが、その他の結像やダイナミックレンジなどのバランスを考えると35mm判フルフレームが私の目的にかなっているようだ。

 

初詣 ②

今日は遠方より友人が来りて、取りあえず初詣の②である。もちろん近所の天王社へ久しぶりに行く。こんもりと鎮守の森に囲まれているようだが両側は開発が進んで住宅が建っている。

境内の南側に珍しく橿原神宮への遥拝所がある(伊勢神宮への遥拝所はしばしば見かける)。

拝殿から本殿を見る。どうやら本殿は塗装がなされたようで鮮やかであった。

お札が無造作に置いてあり、適宜志納料金箱にお金を入れて持ち帰る...のんびりとしたもので近隣の神社では多くが同じような方式である。

ふと見上げると、社の建物が新しいのとは対照的に鈴は年季が入っているようだ。

社の横にはヤツデが育っていた。さっきまで雨が降っていたので雨粒のあとが付いている。

お参りに来る人も少しはいて、30分ばかりの滞在で3組6名がやって来た。

境内の隅にクマザサの群落があり、若いころ登山をしていてヤブコギをすることもあり、ふとその景色を思い出す。近頃はクマザサも減って、かろうじて寺社の境内に残るのみとなっている。山の方ではどうなっているのだろう。

鳥居の向こうはすぐに道路と線路があり、境内の奥は静かだがここまで来ると賑やかになってくる。

鳥居の石段で滑って転んだ...先々週に続き、雨上がりの撮影で転び(カメラはしっかりガード)三隣亡のこの頃である。起き上がるついでに石段横の苔を撮る。転んでもただ起きない。

カメラはこれ...Nikon Zfばかりこのところ使ってきたが(ずいぶん慣れた)今度は44判の練習だ。ダイナミックレンジは広く、人間の眼で見たより記憶像より諧調性が良い (^_^;)  ただし慎重にピントを合わせないと(AF)背景にピントが抜けることがあった。さっそく設定でピントをピンポイント設定に変更した。

 

初詣と地震

一番近い神社(乾谷:八大龍王社)に初詣に行った。例によって農協の駐車場から畦道を歩いていく。右の農家の横からだ。

神社直下の農家の畑、おととしまではいつも野菜が植わっており住んでもいたが、去年来た時には野菜はなく、1本生えた八朔の実も収穫されておらず違和感を持った。今年通るとこの通り雑草が背丈より伸びていた。家も廃屋となったようで、八朔だけがたわわに実っていた。

イノシシに掘り返されて崩れそうな土手を上がって鳥居前に到着、ここは鳥居のすぐ先に小さいながら拝殿・本殿があり、村人達によってきれいに整頓されている。背後の山は低いが森は深く人が入れる道はない。

拝殿前の御神燈、これも去年は出されていず氏子総代の健康状態を心配したが、今年は出ていて安心した。拝殿の社務所からは直会の酒の香りもして(氏子は帰ったあと)快復したか交代したか行事は続くことになった。

拝殿前から集落を眺める。畑はイノシシに掘り返されて穴だらけである...このようなことは過去は少なく、人が耕していると警戒して山から下りてこなかったが、人の影がなくなると大胆になるようだ。耕作されている田畑には電気柵が増えていた。

村からの正式の参道をぶらぶら歩く=一番上の神社の森の左端。この瞬間「ぐらり」と来た(pm4:10)。

そして振り向いて集落方向を眺めたら、写真では分からないが電線は揺れて溜池の水が波立っていた。3カット撮影したが30秒以上揺れていたように思う。東北の時と同様長周期の揺れだったので遠くだと思ったのと同時に揺れの大きさにより大地震と思った。スマホには警告がなかったが村内放送では大音量で警告が鳴っていた。

なぜか今回はNikon Z5+VILTROX AF24mmF1.8Zを持ち出していた。画質は問題ないがシャッター半押しでのAFスタートが一瞬遅れる(AF速度や精度は良好)ことが感じられた。このところずっと使っているNikon Zfとの比較なので参考にはならないが...。

 

賀茂神社ー大晦日

今日は大晦日、コロナ禍の間自粛されていた近江八幡賀茂神社の神事「年越しの大祓い」に久々にやって来た。明日からの初詣の準備に神職や氏子も大奮闘である。

羊歯と柑橘、この組み合わせが何を意味するのか知らない。検索で調べても明快ではない。今度神職に尋ねてみよう。

数年前の台風で倒れた御神木の株から再生しつつある。この他にも御神木の種から実生で新しい幼木も育っている。あと何百年か後になるが、またいつか御神木に育つだろう。

明日からの初詣用の「商品たるお札」のカタログがたくさん並んでいた。宗教離れの昨今その経営はなかなか大変なのである。

明日は満席になる御祈祷の順番待ちのテントである。琵琶湖からの冷たい風が吹き込み寒いのだ。

さて午後4時おもむろに「年越しの大祓」の神事が始まった。観光ではないため放送などはない。まずは霊水で穢れをみそぐことになる。神事はまた次に...。

カメラは今回の撮影は小型が条件なので、AF速度が速くF2.8とやや明るくて何といっても小型のバリアングルモニター付き(神事はモニター撮影=もちろん許可を得ている)であることが決め手だ。色々なタイプのカメラを持っているのは、このような理由がひとつである。