2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

氷見・雨晴海岸…富山県随一の海水浴の浜である。砂浜の幅は狭いが長く続いていて水の綺麗さは太平洋側とは比べモノにならない。JR氷見線がすぐ横を走っていて便利でもある。

これLeicaレンズのことが簡潔に書いてあって面白いです=ボクのレポートは経験的なので真実を突いてはいますが一般化できないので、こういうのも良かろうかと思う。 写真はLeica M3/1st+summicron 50mmF2/1st

【特別企画】ライカレンズの歴史(前編)

青山高原の風力発電群を巡検した帰りに、三重県伊賀市の山中(おそらく旧大山田村)の新大仏寺に立ち寄った…なかなか風合いのあるお寺で、なかでも岩屋不動は素晴らしかった=現在も水行をおこなっているようだ。

新大仏寺 - Wikipedia

上野公園で…彼は大道芸人だがパーカショニストとして世界を股にかけ活動している(CDも出しているしスポンサーも付いている)。これで上野公園で2回目の邂逅だ(前回は不忍池のほとり)…彼も覚えていて長話となった。年に数回東京に行ったときは必ず上野公園に寄るので、また会うことになるだろう。

今日は久しぶりの休暇…ノンビリできた(Θ_Θ)Zzz 部屋を整理していたら、Beatlesの日本第1弾のシングルレコードが出てきた…シングル盤で¥370-1964年当時の物価を考えると高かった(@_@) 中を読むと、ジョージ・ハリソン(リードギター)、ジョン・レノン(リズムギター)、ポール・マッカートニー(バスギター)、リンゴ・スター(ドラムス)と書いてある…当時の表現は今とは違うのだ。そしてBeatlesの言として(たぶんエプスタインの言)すでに1975年までの曲は完成とのこと(1970解散)。

SONY RX100M3...きのうの続き。ファインダー内を接写した(もちろん厳密なものではない…あくまで目安)。下のAにある小型モニターをBの接眼レンズで拡大して見る仕組みだから、Bが少しでも前に行くとボディ内で合焦であってもファインダー内はピントが大きく外れる…そして造りもややチャチなので繰り返し出したり押し込んだりしているうちにガタがくるような気がする=やはりテープで貼ろう!その代わりファインダー部は出っぱなしになるが、それも使用上の問題に比べれば些細なことと思われる。

続き…そうすると電源そのものはAを押し込まないと切れないが、ファインダーの奥行きが短くなるのでピントがまるで外れる。シャッターを切れば合焦しているのだがフィールドで使うには不合格だ。A&Bをテープで固定してメインスイッチでON-OFFするしかないか? 映像に不満はない…玉野の海岸にて、向こうは四国=讃岐富士や瀬戸大橋が見えている。

SONY RX100M3の欠点…このカメラのファインダーはFINDERボタンを下に押すとAがボディ内からポップアップし、そののちBをPULLすることで電源ONとファインダー使用可となる。Aは節度がありカチッと止まるし不用意に動くこともない(もちろんBが出ているので下へ戻ることはない…)、しかしBはカチンと止まらず、当然ながらモニターより少し飛び出すために、首から下げて歩くとお腹や胸にバウンドしただけで少し引っ込んでしまう。

岡山県瀬戸内市の漁村にて…そろそろ牡蠣の種付けだ。ホタテ貝の殻に牡蠣の種(幼生)を付けて海の筏に下げるのである…そして冬には大きく育って市場に出てくる=岡山は広島を抜いて牡蠣の生産日本一となった。 SONY-α7

去年7月の富山・石川の国境の尾根を走る通称「百万石道路」から砺波を望む…と言っても水蒸気のためにほとんど見えない。今年も行くつもりだ…今度はスカッと立山連峰まで見えるといい。 Nikon D600

大阪・肥後橋近くの大川河畔にて…大阪でも川辺の整備が「ようやく」進みつつある。まだ途切れ途切れだが遊歩道は延びていき、通る人や休む人も見え始めている…まだ認知度が低いので隅田川河畔ほどではない。 CASIO EX-ZR20

あまりに巨木になったのと自宅とアトリエの通行に支障になるのでサルスベリの木を昨秋に大きく切ったら、春になっても新芽が出ずに当惑していたが…今日見ると幹から芽が出てきた(^-^)/ 今年の花には間に合わないかも知れないが、また葉を茂らせて欲しいものだ。Nikon P7100

昨年の今日の九頭竜川中流域…鮎漁を見に行ったのだが大雨で増水し、ここで見られる投げ網漁(投網ではない)を見ることはできなかった。 FUJIFILM X-E1+FUJIFILM X-18mmF2

10数年ぶりに訪れた西成の「太陽堂カメラ」、場所柄なのか(2000年当時)珍しいものを安く売っていた。ここで珍しい国産のLeicaマウントレンズを数本買ったものである。再訪すると店は昔のままでオヤジもそのまま(どうしたものか見た目は歳をとっていない…だけど少々惚けつつある)…しかし山のように積み上げられたカメラは整理がまったくできていなくて手に取ることすらできなかった。ショウケースの向こうには中古カメラの入った段ボール箱が積み上がっているのである。このままじゃ、あと1-2年でカメラごみ屋敷となるだろう。

日生・頭島…もう帰りの時刻だ。人はどこでも島へ行く船にはギリギリの時刻に乗るのだが、帰りは早くから待っている。船は遅れることはあっても早く出航することはない…本能的に「取り残されるかもしれない」ことを避けているのだろう。 LUMIX GX7+summilux15mmF1.7

下の母子像の反対側に建っていた飛行士の像…大阪護国神社(戦時中にこの地にできた)のトーンはこちらだが、それほど碑は多くない。新緑が美しい…むこうは広大な住之江公園につながっている。 SONY RX100M3の色乗りはアッサリとしている。

住之江公園。野球場や池があり、思っていたより広くて自然も比較的残されている。釣り人が堂々と竿をさしているのだから釣りを禁止しているのではないだろう…何が釣れるのかな? SONY RX100M3

きのう初めて住之江へ行った…駅を下りると護国神社があった。その向こうは住之江公園が広がりなかなか良い雰囲気だ…小雨が降っていたのとあとに用事があったので1時間半程度歩いただけだが、また機会があったら来てみよう。この神社は戦時中にできたものらしい。SONY RX100M3…実写でも非常に良い絵を作った=常用サブカメラどころか島歩きの時はメインを食うかも知れない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E4%B9%8B%E6%B1%9F%E5%85%AC%E5%9C%92

小手島の南斜面で畑を作っていた…ソラマメの収穫である。37名の島民のうちのお一人で町で勤めあげて島に帰ってきた。そして先祖から耕している畑に作物を作っている(出荷しているのではなく皆に分け合っている=相互扶助、ボクも2kgばかり貰った)数は減っても助け合って暮らしているのである...暗さは少しもない。向こうに見えるのは塩飽・佐柳島…SONY-α6000/どうもLUMIX GX7の方がシャープと思う。

前にもどこかで出したと記憶しているが、ボクが初めて持ったデジタルカメラ=Canon PowerShot G1...1999年当時の高級コンパクトデジタルカメラだ。今も故障なく生きている…機能が古くなったので現在は使ってはいないが、一時期フィルムカメラ(Leica)の押さえとして使っていた(1999-2004)。たったの330万画素だ…しかし印刷され本にもなった写真を撮った。

丸亀市・手島の稲生神社の社にて…暑くてここの軒下を借りて昼ご飯=島には店がないから本土のコンビニで買って島に持っていく(もちろんペットボトルも)=これが不便なような、しかし誰もいない社から海を見ながら食べるのがイイ。

普通の1/3.2センサー・コンパクトカメラ=CASIO EX-ZR20と比べてもレンズ以外はたいして変わらない大きさだ。

予約していたSONY RX100M3が来た(ホントは発売日の5/30に来るはずだったが、その日は離島にいたので不可能)・・・とりあえず「小さい・軽い」が第一印象だ。写りはまだ分からないが、最近1/1.7センサーカメラを使っていて「これでも充分」と感じていたので、このカメラの1インチセンサーはテストする前から結果は分かっているようなものだ。ポップアップ式ファインダーは動きがチャッチいが性能的な問題はないと言っていい…メインスイッチだけではなく、このファインダーを出すことでもカメラは起動する。

瀬戸大橋橋桁の島・与島の小学校跡から…この島には高速のPAがあり、そこから徒歩で島歩きができる。橋でつながったにもかかわらず子供はいなくなり廃校となった。静かな島の暮らしは頭の上を通過する電車や車の騒音が著しく、至便性より悪影響が大きいと感じられた。

今週は塩飽諸島のうち丸亀地先の手島・小手島を2日間で6時間ばかり歩き…暑い(@_@) そして瀬戸大橋の与島PAから島内を3時間歩いた…更に暑く熱中症寸前となる=しかし過去に熱中症に2度なった経験から「つば広帽子・日傘・飲み物・木陰で休息」で乗り切った。写真は小手島の日没☆