VILTROX AF20mmF2.8Zで...

ようやく天気も回復、Nikon Zf+VILTROX AF20mmF2.8Zのテストである。この距離の場合、絞り開放F2.8では中央部は良いとしても周辺部が甘く、最低F4にしないと全面にピントは来ない、更にF5.6~8ならまったく問題はない。F8より絞っても画質は上がらない...推奨はF5.6-F8としておこう。

上の切り出し...20mmㇾンズとしてはこれ以上望むべくもない。ジャンルは異なるがAF Nikkor 20mmF2.8Dより良い。

逆光で...F8/2m。この位置でまともに太陽を入れてもこの程度で、普通の逆光撮影なら神経を使う必要はない。

少し陽が陰っての1m/F5.6撮影(ツタの葉は枯れてしまった)。歪曲収差もほとんど見られず、描写は生々しい。

上の切り出し...中遠距離に比べると甘さがあるが質感の描写は良好だ。

余勢を駆って夕刻の近所巡りに出た。神社の早咲きツツジは数日でほぼ満開となった。

そしてムラに下りた。廃屋脇の小径に入る。

そして村はずれの「交差点」に至る。どこへ行くにしてもここを通ることになる。下の24mm/26mm画角とはまた違ったパースである。まっすぐ行けば畑なので、小屋の左の道へいく。

また家が立ち並び生活感が出てくる。旧村部は上下水道は完備したが、都市ガスは新興宅地を除き通っていない。今もLPガスである。

公民館へ到達し、今回は上の土手道ではなく下の道を行った。下に載せた灯籠を反対から見た。このように土手であり、児童公園等は溜池を埋め立てたものと云えるだろう。左のこんもりした山に見えているのは廃屋が放置され、庭に植わった木々が繁茂したものである。

この道を左へ曲がると、いきなり先日来遠くから見ていた寺のような施設に到達した。細長い建物に更に細長い敷地である。幟が立っているのでそれと分かるが、これは明日法要があるためで、ふだんは立ってはいない。山門はなく寺号も道からは見えず、変わった建て方の庫裏ばかりが見えるのみである。敷地に入ると「なにか御用ですか」である。地元民であり参拝をしたい旨を伝えると「ここは祈祷寺で観光とは一切関係ありません」とのことである。

それでも気にせず(私は民俗写真家)境内に入る。どうやらこの石組の前で祈祷をするようだ。不動明王が本尊ということだが、その像は左にあり、仙人か導師のような像が中心となっている。背後が先日歩いた段丘上の田畑。

また境内には見慣れない銅像も立っている。誰だろう(説明板などは無い)。

そして細長い境内の奥には神坐があり、新しい神殿に多くの神が祀られていた。

また不思議なものが片隅に見えた。石板が意味ありげに4枚、道具で開けたような穴が4個...夕暮れとなってきて帰ることにした。

先日田圃から見たこの寺...右に大きな関電の鉄塔が建ち、境内の土地が売れて、庵のような寺が新しく建ったように思われる。

帰り道で...小さな敷地に水神様がユキヤナギに囲まれて鎮座していた。木津川流域(特に低い場所)には洪水への畏怖と川のもたらす恵みが交錯しているように思われる。以前筆者は新潟の越後荒川の流域調査をしたことがあるが、川には水だけではなく、洪水には上流からの肥し気たっぷりの土が流されてき、漁業や水運の利もあったのである。木津川の流域では明治の頃、お茶の栽培と水運で旧山城町の上狛地区(今もお茶の産地)地先の川湊は「東の神戸」と呼ばれるほど、盛んな時代があったのである。当時はお茶と生糸が輸出の主だった。

さて来た道を帰る...このように一帯は水に恵まれている。水路が張り巡らされ、溜池に流れ込み、そこから田圃に水が回される。

上の廃屋を裏から見た。表は時に帰ってきて手入れがなされているが、積んだ石垣が崖となって危険なため裏までは手が回らない。ではまた今度=3=3=3

これで使えることが分かった。ポイントはF5.6-8、軽くて速いのが良い。

 

今日もムラ歩き

きのうは荒天で外へ出られなかったが、今日は比較的好天だったので、またムラ歩きだ。今日はLeica M9・summaron 35mmF3.5の難しい組み合わせだ。まずは稲植神社へ...早咲きツツジがようやく咲いてきた。あと数日で満開になるだろう。

前回と同様の大絵馬を撮る...画角も味も異なる、しかし最新レンズにも劣らない1950年製Leitzレンズである。今回はすべてF5.6半で撮影した(F5.6に最低しないとピントが満足にならない)。

神社の日当たりの良い場所のアセビは満開だ。横のツバキもちらほら咲き出している。

鳥居から駐車場を見る。やはりダイナミックレンジの狭さはいかんともし難い。停まっているのが私のFIAT500/Twinairだ。

Nikonで撮った竹を撮る。これも味の違いを見ている。74年前のレンズとは思えない解像である。遠距離では現代レンズに負けるが中近距離(スナップ距離でもある)では同等の絵を造る。

まっすぐ集落の道を下って大溜池の畔まで来た。「進入禁止」の看板も植栽に呑み込まれている。

そしてやはり村外れの塚へ...夕方の斜光線が良い。今日は4時から5時半まで歩いた。

そして畑へ向かう。正面の小屋に寄ってみよう。

この田園地帯唯一の休憩小屋、夏などこのような施設があると百姓仕事も楽である。他の畑ではちょっとした木陰で休むぐらいだ。

傍に元気なネギが植わっていた...これは自家消費用だろう。

段丘と菜の花...先日話をしたオジサンの畑だ。向こうには自然のままの林が残されている。

村中に戻り、公民館のベンチで小休止。大きな児童公園も含めて広い敷地だ(たぶん溜池を埋め立てた敷地)。

敷地を回ると土手のようになっており、やはり溜池のようだ...年代は分からないが「記念樹 植田納税組合」(おそらく終戦直後シャープ勧告の出た後だろう)と彫ってあり、サクラの大木が育っている。ここも4月にはぜひ来ないといけない。毎年周辺の桜見物をしている。

また畑に戻る...いつも眺めている建物がある。寺のようでもあり、それにしては細長い変わった建て方でもあるし...しかし道が無い。

思い切って畦道を歩くことにした。これから畑の季節、化学肥料の袋が置いてあった。向こうは迫りくる開発の現場である。

畦道を歩くと、丁寧に育てられた色々な作物に遭遇する。私は田舎の子だったのでたいていの作物は分かる。

畔の段丘上から見ると、どうやら神社らしいが下りる道が無く詳しいことは分からない...次回、別の道から行ってみよう。

天気が怪しくなってきたので帰宅することにした。新興住宅と竹藪の間を通り抜けると神社に出る。故障した脚のリハビリを兼ねてのムラ歩きだが、慣れてくるとなかなか楽しい。

 

田畑を歩く

植田の畑作地帯の地勢は変わっていて、自然の地形が生かされ、河岸段丘や細い川や浸食された谷などにより複雑な地形となっている。

畑も耕作放棄されると、とたんに自然に帰っていく。木津川の氾濫により上流から肥沃な土砂が堆積し地味は肥えている。

1時間ばかり田畑・畦道を歩くと疲れて村中に戻る。何度も訪ねているので迷わないが、地形が複雑のため1本道を間違えると違う場所に行ってしまう。

上の地蔵・灯籠は段丘上と村落の境界に建てられていて、段丘(自然堤防)よりずいぶん低い位置に里道があることになる。破堤への守りとして塚は造られたのだろう。なお古い家は高い石垣を築いて家を建てている。

帰りの道で...狭い小径が多く道より軒がはみ出ていて、宅配のバントラックがぶつかるのを警告したものだろう。

少し太い道に出るとちょっと有名な手作りの豆腐屋がある。その向こうは巨大な溜め池になっている。

廃屋の庭に梅の花が満開だ...主は居なくなっても植物は繁茂している。これがデイライトシンクロだ。

その廃屋の敷地を通らせてもらう...その向こうが度々登場する如来堂で神社の駐車場への近道なのである。ここでも中庭にボケの花が咲いていた。

如来堂脇の最後に残った竹林に街灯が建てられていた。新開地が数十軒できたのだから当然と思うが、設置票を見ると「防衛省」と書いてあった。町や京都府ではなく防衛省の管轄なのである。戦前から弾薬庫の町として恩恵を受けてきたのが依然として続いているのであろう。

神社の駐車場に戻ると自動点灯のLEDランプが点いた...神社の森だけは残るだろう。

 

また村へ

天気が良くてまた近所歩き(脚の調子見でもある)...神社の駐車場へ車で向かう途中、旧村部を走るデマンドバスに遭遇(1日3~4本ぐらいなので珍しい)フロントガラス越しに撮影、当然片手での動体撮影...それでもブレない。バスはどこで降りても一律100円!...一般の路線バスは一区間220円で駅までなら370円であり、いかに地元を大切にしているか分かる。

神社に着き、境内を回るが、今年の各花の開花は遅れているようで、早咲きのツツジもつぼみが膨らんできている程度だ(いつもはこの時期は咲いている)。

そして新興住宅から旧村部へ、夕方なので影が長くのびる。

竹藪の外れに若い竹が何本も切って置いてあった。姿は見えないが竹林の中からも竹を伐採する音がポンポンと聞こえる。いずれ何かに使うのだろうが用途は不明である。

旧村部に入ると、つい最近まで人の住んでいた家が空き家になっていた。自転車など生活用具は置いたままである。ここの住民にもコロナ前に聞き取りをしたことを覚えている。私と同じぐらいの年齢の婦人だった。

その隣の家、ここも無住である。車も置いたままだ(防犯上の意味だろう)。

そして向かいには、ずいぶんクラシックな小さな民家が建っていて(車は入れない)こちらは何人かが住んでいる。背後の竹林が如来堂の大開発でかろうじて残ったものである。

もう村はずれで、盛んに畑作がおこなわれている。ビニールハウスのビニールは風で飛んでしまっているが、その下では冬~春の野菜が元気に育っていた。

非常に大切に育てられていて自家用だけではなく出荷もなされているようだ(土が良い)。モグラ除けのペットボトルが芸術的に夕陽に輝いていた。

まわりに民家があるためかイノシシはここまで出てこないが、鳥や虫の害はあるようで、これなども作品的に見えてしまう。

完全に田園地帯に抜けた(神社から徒歩15分)。河岸段丘上に広く畑が作られ、それまでの自然の林や谷地の残存まで見られる。ここで農作業をしていた婦人(やはり私と同じぐらいの年齢)と出会い、また村の今昔について話が聞けた。私もここへ引っ越してきて30年近く、すっかり地元民となっている。

婦人の元の家は向こうの半分壊されて道路になった場所にあったが、自分の田畑のある隣の集落に引っ越せたらしい。開発はどんどん進み見えている範囲の半分ぐらいは宅地化されるようだ...町長も「開発」と言っている。私は反対だ。

今回の撮影はこれ...次の撮影旅行にはこれとNIKKOR 20mmF2.8Dを持っていくつもりのテストでもある。理由はストロボ撮影が必要かも知れないからだ。「かもしれない」で外付けの大きなストロボを持ち歩けない。Nikonがストロボ内蔵にこだわったのも評価できる。高感度耐性を強化したり手振れ補正を内蔵しても、ディライトシンクロの効果はでないのである。

 

普賢寺へ

今日は天気も良く、脚の調子を見るために田辺の(隣町で今は京田辺市である)普賢寺へ行ってみた...もちろん桜の開花は遠いが、地区の人たちが休耕田に植えた菜の花が咲き始めていた。ここでは桜と菜の花、そして国宝の観音像がごく短い期間の観光の目玉である。屋台も出るようになって桜の時期はたくさんの人が集まるようになった。

そして我が町に戻って北稲の観音山を回った...竹林が大規模に伐採されて何が始まるのか分からないが、こんな斜面に家は建てられないし、たぶん緑地か公園になるものと想像している。

今日は久しぶりにSONY α7系を持ち出した...写りはまったく問題ないがファインダーが暗い(そして小さい)のが気になった。もちろんEVFはマニュアル設定で+2にしているがピーカンの場所なら暗いと感じる。II型では改善されているのだろうか?

 

植田集落へ①

今日は寒かったが、2月に痛めた脚の調子も回復してきてため、近在を1時間ばかり歩いた(足を慣らさないといけない)。まずは車で神社へ。

今年は辰年(私の干支)で大絵馬も今風のデザインである。いつものことだが境内には誰も居ない。

そろそろ早咲きのツツジの花を期待していたが、まだまだつぼみは硬い。カメラは時代遅れのSONY α900、レンズは更に時代遅れのminolta AF24-50mmF4だ。しかし良く写るセットである(音とシャッターショックは大きい)。

神社を後に集落へ向かう...土地の境界に植えられたビワの木は切り倒されずに残っていて新芽も出ている。かろうじて後ろの竹林は開発から残されている。

村の小径を歩くと畑に出てきた。高低差はそれほどないが、複雑な地形が続く良い散歩コースだ。洪水の危険性があったため家は高台に、低い場所は農地となっている。肥沃な土はまるで粉をふいたチョコレートのようで、いまにも食べられそうな感じである。

梅の木を見つけて農地に入ると、花が五分咲きだった...観賞用ではなく自給用の梅干しを作るために植えられたものだろう。

一帯はすべて竹林だったが、現在は開発が進んで、このような形で竹林の残骸が残っている。刈られた場所にはやがて家が建つのだろう。

 

海住山寺へ

海住山寺へ立ち寄る。山門は閉じられていて駐車場(無料)から寺域へ入る。入山料は100円(本堂に入るには別料金400円)で少し遠いが散歩にはちょうど良い。やはりここでも植栽に力を入れつつある。境内が奇麗なのは気持ちが良い。

賓頭盧尊者の座る本堂、屋根の大修復をした際に扁額も新調したらしく輝いている。

国宝:五重塔、東側から見た姿が美しい。しかし修復がそろそろ必要になってきている。

本堂裏の山を切り開いて展望所があり、木津川の氾濫原が見えている。対岸に鹿背山、眼下に恭仁京・山城の国分寺跡が見えている。もうすぐ春、これから山の景色が美しくなる。

お御籤を結ぶ台、あまり盛況とは言えない。観光を目指しているが、あまり観光的ではないのである。私は年に2~3回訪れるが...。

 

浄瑠璃寺再訪②

遠目にはまだ春の雰囲気はないが、あと1ヶ月もすれば花が若葉が枝を覆うだろう。

国宝:三重塔に行く...例によって裏側に廻って、塔と木々の対比を撮影。これも新緑の頃、紅い塔と黄緑の葉のコントラストが美しい。

塔の階段を下りて池の畔から本堂を眺める。ワイドレンズなので遠く見えるが、本堂の障子を開けて九体仏が見える様子が想像できる。池畔には蘆荻がそれとなく残され、昔の池の周りの風景を彷彿とさせる。

池畔を振り返ると塔がすぐ上に建っている。塔の前から本堂を眺めると九体仏が水面に映って見えるのではないかと想像させられる。古い友人の老人ふたりが同じ風体で何やら話しながら階段をゆっくりと上がっていく...良い景色だ。

池を少し回ったところに石のベンチがあり、そこで休憩...そこから座って三重塔を見た景色、自然な庭園が完璧なまでに造られているというものだ。夏はここの照葉樹の影で休める。

そして池の餌場、鯉は暖かさで動き出した(錦鯉でないところがいい)。亀はまだ水底に沈んだままである。このあと金色に輝く本堂の九体仏を拝観し(修復されピカピカだ)浄瑠璃寺を後にして次の目的地「海住山寺」へ向かった。

 

浄瑠璃寺再訪①

春夏秋冬、しばしば訪れる浄瑠璃寺に先週行った。暖かく早春の雰囲気が満喫できた。参道横のナンテンの向こうに梅が満開に近く、当尾の家並瓦も美しい。

参道の石碑(史跡 浄瑠璃寺と彫ってある)の後ろのロウバイは満開となっていた。

山門に着く、お昼前だったので観光客はほとんど居ない。静かな山寺だ。軟らかい...今回はNikon Zfの画像をリサイズのみで掲示している。

山門を入ってすぐの藤原時代の庭園跡(実際は境内全体が当時を再現している)ナンテンの赤と常緑樹の緑、補色対比が眼に訴求する。左の方の空間は、今は植樹した幼木を育てている場所だが、今回新調された寺のパンフレットの古絵図を見ると、往時はここにも伽藍があり、私の推測どおり仁王門(あるいは同格の門)があったものと思われる。

国宝の本堂をノラネコが歩く...非公式だが餌付けもしているらしく庫裏付近にも数多くたむろしていた。この障子の向こうに3年がかりで2体ずつ修復のなされた九体仏(国宝)が金色に輝いて安置されている。9枚の障子を全開すると池の対岸からずらりと並んだ九体仏が眺められる...普段はそんなことはしないが天気の良い吉日に特別公開されると予想している。

本堂脇の石碑、Nikon Zfの真骨頂の生々しさがよく表れている。

黒の本革ケースに次いで人造皮革のケースも買ってみた...だんだん技術も上がってきて見た目では区別がつきにくい。持つと本革が柔らかみがある。ケースが二個あっても仕方がないという意見もあるだろうが、もしZfにシルバーモデルが出たら欲しい気持ちが下敷きにあるのである。