2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

西国三十三所

以前にも紹介したが、岩間寺の境内には西国三十三所の各寺院の本尊の観音像のレプリカが置かれ、ここを回ると巡礼が満願するようにしつらえてある。観光的措置とも言えるが、全部を回りきれない人にはうってつけの配慮だと思う。本堂にも金ビカの観音像が三…

岩間寺

今日も天候が良く、宇治川沿いの「富川磨崖仏」と「岩間寺」に秋を求めて探索した。鎌倉時代の磨崖仏だが、真ん中の阿弥陀如来の右耳に自然の穴があり、そこから地下水が滲み出て長年の間に耳だれのような模様をつけてきた。いつの頃からか耳の病気に霊験が…

平城宮跡

佐紀神社の隣の池畔に釣殿神社があり、その小径から佐紀池を見た。道は山から畑へとうねうねと曲がり、古墳や集落を巡っていく。釣り堀は跡はあるものの営業している雰囲気ではない。 佐紀池からホンの少し南へ下りると平城宮跡の太極殿の前に出る…私が住ん…

道祖神

佐紀神社の裏へ回ると、村に通ずる地道があった。あたりは地区の中に神社があるのではなく、古墳群も含めた聖地の森に家が点在しているような景色が続く。もちろん狭い車道は表側に通っているが、古くからの小径も使われ続けているのである。 森を抜けると道…

ふたたび佐紀神社

佐紀神社の本社へ…池の向こう右が剣術を見た分社の森である。左の森も別の神社だったが、今は社殿はなく小さな社と碑が建っていた。元は池も溜め池だっただろうが、のちに釣り池となり(40年前は盛んだった)今も細々と営業しているようだ。白い建物はその…

佐紀のアトリエ

佐紀中町の横道に見覚えのある竹林をみて小径に入っていった…40数年前に3年間住んでいた私が初めて持ったアトリエ兼住居である。元は農家の出作り小屋(軽トラのなかったころ農繁期に自宅から離れた田畑の横に仮住まいした家)で、西大寺の駅近くの電柱の…

佐紀神社

添御縣坐神社:歌姫神社の境内から…短い参道のむこうの白い帯が歌姫街道である。真新しい灯籠が信心の続いている、そして町の豊かさを表している。 添御縣坐神社(歌姫町) 古道は歌姫町に続いて佐紀町に入る。昔は田畑で区切られていたのだが、今は住宅が建…

歌姫街道へ

今日は天気が良いだけでなく適当な風が吹いていて、相楽神社から南へ折れて、奈良へ向かう古い街道「歌姫街道」へ行ってみた。今はずいぶん拓けたが、40年前は見渡す限り田圃だった。道も広くなり、元あった県境の祠(以前ここで休憩した記憶あり)のあた…

RICOH GR

今日はまた方向を変えて、先日伏見へ行ったときに久々のRICOH GR/APS-1stを持ち出した。その前日の簡単テストである。長く使わないでいると特性を忘れるため、このようなことをするのである。うしろの2台はRICOH GRD/1st(2005年購入)と、GRの派生機種GX10…

綺原神社

綺原神社 昨日の続き…蟹満寺の横に綺原神社(カンバラ)が座している。社殿は小さなものが建っているだけだが、ここも由緒は古く飛鳥時代より存したようである。渡来人:秦氏の氏神でもある。緑が濃くまだ秋の侘びにはほど遠い。 となりの井手町へも足をのば…

デレーケ

今日はやはり秋空の下(本格的撮影シーズンの始まり)旧山城町の名所を2時間半かけて巡った。週に二度ぐらい出かけているので、掲出がバラバラになるのはやむなしとしよう。 まずは蟹満寺に寄ってみた。10回目ぐらいとなる訪問で、年々お堂や境内の整備が…

大下駄

仁王門の前には大きな下駄が置いてある。これが新品の頃初めてやってきて、これに座ったり上に立ったりしたことが懐かしく思い出される。時の経過でもう痛んでしまっているが、その分歴史が重なったようで趣が出ているようだ。 そして仁王門から境内を見上げ…

老人ホーム、慈母園

壺阪寺の本尊は昔から眼病封じで知られ、今も目薬などを作っている。そして境内に入るとすぐに盲人専用の老人ホームが最初に訪れた30年前から建っていて、信仰と実質が合致しているのには「なるほど」と思った。 さて境内の広場を抜けると仁王門があり、阿…

壺阪寺

西国三十三所霊場第六番 壷阪寺 今日は秋空の下、久しぶりに飛鳥の壺阪寺(南法華寺)へ詣った…暑くもなく寒くもない好日であった。インドの工人が製作した各種の巨大石仏で有名である。できた初期の頃(20年ぐらい前)から何度も見ているが、最初の真っ白…

植田の町

如来堂から植田地区へ下りてみる…やはり便利な場所ではあっても廃屋は目立つ。ここでは時々帰ってくるらしく、庭などは荒れていない。しかし門には結界代わりに古い机が置いてあり(立入ご遠慮の印)建物の外壁や家の周りは崩れつつある。 旧の街道を歩くと…

首切り地蔵

夕日の如来堂、額には如来寺と書いてあるが、これは最近建てられたお堂で、以前(平安時代の創建らしい)には本当のお寺があったのだろう。 お堂脇の小さな祠には古い首切りの地蔵と摩滅して何が彫ってあったか不明の石像が安置されていた。やはりここでも廃…

OLYMPUS E-420

先週のOLYMPUS E-520の出来が良かったので(510から進歩が見られた)今度はOLYMPUS E-410のマイナーチェンジ版のE-420を導入した…やはり730ショットばかりのおそらく展示品である。E-410との外見上の差は同じシャーシながらダイアルの質感が変わって操作しや…

如来堂へ

今日の夕刻、OLYMPUS E-520の実地テストのために、近所のお堂付近(以前から注視しているミニ開発現場)に行った。家はそれなりに建ちつつあるし、すでに入居も始まっていた。如来堂への道は整備されたが、残念なことに住宅地と道路に参拝道が寸断されたため…

OLYMPUS E-520

OLYMPUS E-520 OLYMPUS E系のボディがまたやって来た=これも2008年の発売ながら、2,246ショットの新同品である。あとは国内販売されたOLYMPUS 4/3ボディは初号機E-1とE-410のマイナーチェンジ機であるE-420のみが未導入となった。プロトタイプに近いE-1は別…

日限地蔵

大手筋商店街に面してお寺が二軒あり、その片方の大光寺の地蔵堂に安置されている。ご覧のとおり中央に鏡があり、ここでも神仏混淆は続いている。 大光寺,日限地蔵 商店街を進む…また鍼灸院(或いは接骨院)がある...比較的最近、健康保険が効くようになって…

伏見へ

今日は台風一過(と云うほどでもないが…)の午後の伏見散歩。相変わらずの大手筋商店街からスタートである。今年1月・3月に訪れているが、3月より人出は多少多いと感じた。ただし昼食を食べた黄桜直営レストランや夕方のカフェでの休憩では、ずいぶん人が…

宮ノ裏地区へ

寺の裏へ回り込むと、その名も宮ノ裏地区となる。元の木津川河川敷のすぐ横の低い河岸段丘の土地である。以前は出水のため、野原か湿地だった場所だが(水運の川湊も形成していた可能性はある)現在は水害の意識も遠のいて、新興の住宅が府道47号線と木津…

安福寺

御霊神社のすぐ傍に安福寺があった…もとは敷地がつながっていた痕跡があり、これも明治の神仏分離令でふたつに分けられたものであろう。こぢんまりとした檀家寺できれいにされている。右の森が御霊神社の森で、左に少し見える木々が木津川堤防上の林である。…

御霊神社へ

週二回の午後2時間の旅…今日は木津駅近傍を探索した。まずは鹿背山へ行く道の途中の御霊神社(木津駅から徒歩5分程度)へ。昨年、寺務所が新築され、拝殿・本殿・鳥居も改修された。鳥居は赤すぎるぐらいに鮮やかになった。今は神職も常駐していないが、な…

谷地

公民館横の公園…子供達のよい遊び場になっている。近在では寺社は多いが児童公園のようなものが極端に少ないので、狭い公園・広場でもあるとよい。 公民館前のバス停で…今は1時間に1本あるなしだが、ちゃんと待合室まである立派なバス停である。自動車が普…

水害記念碑

公民館広場(集会所?)は色々なものが寄せられている。元からここにあったかは不明だが、やはり低湿地の集落で天井川の氾濫は何度もあったようで、南山城水害記念碑が建っていた。また詳しく調べたい。 広場には遊具もあるが、片隅に地蔵堂があり、何体もの…

北河原地区へ

今日は旧山城町の北河原地区を訪れた(上狛の北)…見ての通り天井川の傍で、河床より家々の敷地の方がかなり低い。 地区の中心に公民館があり、そこは児童公園も兼ねている。そして敷地の脇には地域別労働組合の事務所の跡地があった…どのような歴史があった…

上狛地区を西へ

上狛地区の中心(旧山城町の中心でもある)から西へ歩くと、中心部に多いお屋敷は少なくなり、人を見かけず町並も少しずつ寂れていく。 廃屋も多くなっていく…しもた屋だけではなく、大きなお屋敷でも無住の家屋が目立っていく。それほど不便な場所ではない…

今日も上狛

今日も秋晴れの中、上狛地区へ(平日でないと福寿園の資料館が開いていないため)行った=3=3=3 資料館とは別に秋の雰囲気を感じて(ただし少々暑い)地区内を寺社や旧跡にこだわらず1時間半かけて歩いてみた。1週間前に比べると秋の花が満開で、どこへ行っ…

浄瑠璃寺をあとに

どうした訳か、参道のあたりにはノラ猫が多い。飯屋さんで聞くと誰かが捨てていくようで、しかし店の人や寺の人も嫌わず、なんとなく増えているようだ。虐められないために人を恐れない。ただ閉ざされた環境(山中の離れ里)のため近親交配も進んでいるらし…