播磨へ ②

水子地蔵堂から少し歩いてようやく一乗寺の山門に着く。この時点では(11/12)紅葉はまだで、黄葉は真っ盛りであった。

境内に入ると例によって強烈な石段である。この時代(1200-1300年前)の密教寺院の特徴として山の麓から上に向けて何段にも堂宇が建てられているものが多い(山岳信仰との習合?)。ここでは4段になっていた。

石段の横に「足の弱い人用...」の札があり、そちらから行くことにした。今日は2か寺を回るかなりの強行軍なので最初から疲れるわけにはいかない。

広い場所に出て、休憩所(まえに来た時は、ここで弁当を食べた)や弁天池がある。周りは深い山である。

弁天池に生えるカエデも紅葉はまったくしていない。Nikon Zfのエンジンは良く働いていて、補正しなくてもだいたい記憶通りの絵を残す(撮影後のレビューはしない)。

広場の隅に傾いた鳥居を見つけて入ってみる。元は神仏混交の時代の跡で珍しくないが、非常に荒れているのが印象的で、広場の整備具合と対照的であった。

やや長い参道を行くと、昭和58年奉納の鳥居があり、その頃までは信仰されていたと推察される。この鳥居以外にも倒れた鳥居が幾本もあって折れ方から見て落雷ではなく台風にやられたようだ。だがその後の改修の力は及んでいない。

塀やその他の建造物の傷み具合からみて、昭和58年前どころではなく、かなり以前に衰えていたことと思われる。

参道の石碑もこのとおり、まったく手が付けられていない。この先に本殿跡らしき建物も見えたが野草が繁茂し、地面は苔むして歩くのが困難となり引き返すことにした=なにより嫌な霊気を強く感じたのである「来るな...」。

鳥居の方を振り返ると明るい広場が待っていた。

広場の弁天池の周りに点々と西国三十三所の観音像のミニチュア像が祀られていた。そしてこのカエデは半分紅葉をしていた。脇の道が荒れた神社の参道である。