北稲八間

多忙続きで更新(撮影も)できなかったが、ようやく今日暑さの中近隣のムラを1時間ばかりあるいた。Canon RF28mmF2.8のみでF4-F8での撮影である。

その前に先日日没時に太陽が出たときに撮った完全逆光の写真を出そう...太陽を中心付近に持っていくと、夕方の弱めの光であってもゴースト・フレアはまぬかれない=最新のㇾンズとしては逆光には気を付けないといけないレベルである。

さて北稲八間の公園前に車を停めて歩き始める。前回は地区の南側を歩いたが今度は北側を見てみることにした。薄曇り/午後4時から5時の撮影である。ㇾンズは極めて率直な写りをしていてズームレンズとは一味違うと感じた。元の集荷場の建物は依然として使われているし、街道の曲がり角のイチョウの古木は大切に残されている。

今は倉庫として使われている。以前は集会所に転用されていたが隣に立派な集会所ができて、それでも壊されることなく整理整頓されている。

車を停めた場所は元の小学校跡地の公園で、ムラの消防団の倉庫も建っている。ここに地区の手づくり地図があるのだが、縮尺が正確でなく「目安」程度と考える方が良い。それでも地区の文化的景観のよく分かる地図だ。

河井寛次郎の愛した旧街道、向こうは北の八幡神宮まで続く。そして道はこの角で右(東)へ曲がり、しばらく行くとまた右(南)へ、旧街道によくあるクランク状に奈良の方へ向かっている。現在は右の方に往還は移り、更にもう1本の道が南北を繫ぎつつある。

旧街道の名残り、唐突に「枚方」の路程表示が角に立っている。つまりクランクを曲がらずに真っすぐ行くと山の中に道は入ってしまうからなのである。小さく「500m 日本遺産」の札がかかっているのは下記のことだ。観光地ではないため知られていないが、我が町は歴史遺産が豊富に残されている。

稲八妻医師茶園 | 構成文化財 | 日本遺産 日本茶800年の歴史散歩~京都・山城~

旧街道の角地は(400-500坪ぐらい)大きな屋敷が更地になったもので、往時の繁栄もすべてが残された訳ではない。

傾いた電柱と草むした売地。F4撮影...28mmㇾンズとしてはボケ味も悪くない。ボディ設定も関係あるかも知れないが全般に軟らかである。

街道から横道へ入る...阿弥陀寺の門前である。このあたりの屋敷の建物が普通では考えられないぐらい大きく、おそらく何かの作業を室内でしていたと感じた。これも聞いて見なければならない。

寺に入ると一等地に戦死者の墓があり、今も大切に供養されている。このムラでは2名の戦死者が出たようで、昭和13年戦死となっているので大戦突入前の日中戦争で亡くなったものとみられる。続きはまた後日...Canon RF28mmF2.8はたいへん実用的でCP抜群のレンズと思う。