北稲八間 阿弥陀寺

もう一基の戦死者の墓は少し新しく、太平洋戦争中での戦死者である。将校であったためか少し墓が大きい。

どうやら寺の裏口から入ったらしい。寺域は広くないために十三重の塔や種々の碑が一か所に並んでいる。ずっと以前にこの寺に来た時より境内の整備が進んでいる。

最大の碑...五輪塔の様式だが古来の墓ではない。江戸時代、隣の字(普賢寺地区)との山の境界争いに勝った時の記念碑である。見ての通りその後の改修で元の石材は一部だけである。

本堂...これは最近の建築だ。山号が「太陽山」とは豪快だ。浄土宗。

こちらが表の山門である...向こうに見えているのが、小学校跡地の公園で遊具が見える。

山門横に「鶏供養」の碑があった...以前に養鶏が行われていたのだろう。

鶏供養の碑の裏側には無縁となった墓石や石仏がたくさん並んでいた...28mmの画角では全部は入らない量である。向こうは本堂。

ここでも明治の廃仏毀釈での「首切り地蔵」が補修せずに三体並んでいた。  神仏習合と廃仏毀釈

寺の隅に夏の風物、虫食いだらけの芙蓉の群落があった。これから花を咲かせる。ここで阿弥陀寺をあとにする。Canon RF28mmF2.8は軟らかめの描写だがとても良く写るレンズと感じる。