北稲八間 武内神社

寺を出て道を進む...大きな農機具小屋に玉ねぎを吊るしている...人はあまり歩いていないが廃屋は少ない。

村はずれの小さな家並、北稲八間でも豪農の屋敷ばかりではない。いまだに地主階級と小作階級の差は埋まらないでいる。

旧街道に戻る。街道沿いは大きな屋敷ばかりだ。ただしいくら地主と云っても屋敷が大きすぎる...何かの仕事を屋敷内でしていたに相違ない。

旧街道に出て数分歩くと村社である武内神社に着く。こちらは裏参道だが、右の方の表参道の階段が急なので、いまはこちらから上がることが多い。奥にご神木が見えている。

参道の左側には旧の社殿の跡が残されている。経緯は分からないが村人の神社に対する崇敬の念はいまだ衰えていない。

ご神木の全体を撮る...考えがあって私は横位置でしか撮影しないのだが、こうなっては仕方がない。杉の巨木で石垣の上の狭い場所に生えている。雷に打たれたのか、根方の狭さによるためか大きく傾いている。いつか倒れてしまうだろう。

裏から境内に入る。向こうの鳥居が表だ。村人によって掃除がいきとどいていてチリひとつない。砂山が見えるが、これも近在の神社には見られない風習で、大きな砂山が真ん中に、あとは小さなものが色々な場所に積まれている。

表の急階段から集落を見る...上の写真の鳥居は木でできていて本来の鳥居は階段下の街道側に建っている。街道はここで右(東)へ曲がり、少し向こうでまた左(北)に曲がる。

たくさんの神が祀られている(明治の合祀令による)。ここで特徴的なのは住吉さんを筆頭に海の神が目立つことだ(我が町の神社に多くみられる)。これは木津川水運の歴史を暗示している。

拝殿は絵馬堂を兼ねていて、新しいものが多く見られる。

拝殿から本殿を見る...かなりお金をかけて改修されている。ちょっと気になるのは通路天井に菊の紋が入った六芒星があることだ。菊の紋は明らかに朝廷系であり六芒星と習合しているのも妙である。また日ユ同祖論が出てきそうなしつらえである。由来などは一切書かれていない。

本殿裏にも多くの神が祀られている。しばらく来ない間に由来書が新設された。

その中で市杵島姫命(やはり海神)の祠は最も大きく大切にされている。壇上には変わった姿の狛犬が二対神殿を守っている。

神社を出ると村はずれで、その向こうの山が江戸時代に勝ち取った尾根の端である。尾根の向こうにちらほらと見えているのは隣のムラで、また今度見に行ってみようと思う。右の広い道は元は何だったか分からないが今は広場になっている。

広場は整備されていて、生きているかは分からないが水飲み場まである。ひょっとすると公的な施設があったのかも知れない。今はカソリック教会の土地で区民に広場として使わせている。この日は平日だったので誰もいなかったが、以前に来たときはサッカーの練習を地元の子供たちがしていた。町で今もっとも強い宗教団体はカソリック教会で介護施設や幼稚園なども経営している。

ここで道を戻ることにした。武内神社を街道側から見た。28mm画角でこんな感じである。ボディとの相性もあるだろうがレンズは満足いく結果であった。