神社をあとに植田地区へ向かう。このあたりは大きな山塊で弥勒堂や稲植神社、荒神社が点在していたが、荒神社は山が半分削られ宅地となっていき、この橋の下は山が分断された幹線道路となっている。そして橋を渡ったところは竹藪の中にお堂が建っていたのみであったが、数年前から記録し続けているミニ開発によってその風景もなくなった。右の竹藪だけが残っている…その右も宅地となった。
竹藪に近づいて昔の風景の一部を切り取ってみた。4-5年前まではすべてこのような景色だったのである。植田から神社まで竹藪に囲まれた小径を歩み、また南稲からこの道を伝って弥勒堂まで足を運んでいたのである。
新興住宅地と旧村部の境目、ここの町内会はどうなるのか気をもんでいる。あからさまではないとしても対立関係は簡単にはなくならない。
そして弥勒堂、かろうじて敷地は守られた。しかし名物の桜は今にも倒れそうに土地を削られてしまった。お堂の横も同様である。
そしてお堂の前からの懐かしい景色と古い町並み、しかし歩く人が減って、参道は両側の木々の繁茂により徐々に狭くなっていく。