六島へ

4月8日に戻る...桜紀行の続きである。また笠岡から連絡船に乗って約50分の六島へ向かう。深い笠岡湾を出る場所の神島への高橋をくぐる。新橋の工事は1月に来た時から進んでいない。今回はCanon RP+Canon RF24-105mm /F4-7.1が装備品だ。

六島に着くとまず湛江に停泊、ここで笠岡の消防団の人が降りる。集落に多くの家が見えるが、現在はほとんどが無住で、盆暮れや用事のある時にだけ戻ってくる。本格的な廃屋はそれほど多くない。

前浦の港から山を登って小学校に行ってみる...土地がないため山に学校がある島が多い。六島小学校は現在全校生徒1名、中学校はなく船で2名の中学生は別の島へ通学している。校庭は狭いが手入れはなされていて、菊桃の花が満開であった。この日は土曜のため授業はない。

学校の正門側へ回ってみた...校庭は狭いが、校舎は立派なものである。散り始めた桜が奇麗である。

例によって集落の中を歩く(もう7-8回目の訪島)、同じではないかと思われるようだが「変化」を見ているのである。人口もこの間に10人ばかり減って、現在は2地区合わせて全島で49名である。あちらこちらに小さなお堂があり、歩き疲れるとそこで休憩する。「極楽寺」となっているが、これは四国八十八か所の徳島:極楽寺のことで、島中のお堂や路傍に八十八の各お寺を模した地蔵や観音像があり、それらをめぐる「島遍路」となっているのである。六島だけではなく多くの島で残っている風習だ。だから鍵は掛かっておらず休むことができる。このお堂前には井戸があり、水を飲むことも可能だった。

映画「獄門島」に出てくるような大きな屋敷の廃屋がある。今ではロケが行われたことも封印されている。映画の印象が六島の印象に重なることを避けているのである。寅さん映画や機関車先生のような映画のロケ地の島は観光の看板にしているが...島民のひとりに聞くと映画のロケには協力したが、上映された映画を観てガックリしたとの話である。

村はずれの灯台へ行く道の脇にもお堂がある。お堂横の桃の花が満開である。お堂はどこも三畳程度。水仙の季節には、このこのお堂の向こうに登っていくのである。

港に戻ると島民が集まり「ドラム缶パーティー」をする場所で、そろそろ人が来始めている。夕刻6時ごろ始まり、本土への最終連絡船が5時半なので島民以外の人が参加するには泊まらなければならない。宿泊は民宿が1軒、お寺にも泊まれる。

港の前に墓地があり、築港の埋め立てまでは砂浜になっていた...これもよくあることで両墓制の「埋め墓」と思っていたが、今回島民に聞くとここの場合は埋め墓とは違うとのことであった。

前浦地区から湛江地区に歩いた。湛江(タタエ)はふたつの小山の間から右の海に向かって伸びている集落で、もとは漁業が盛んであったとのことである。こちらの山はまだ畑が山肌に作られていて頂上は展望台のようになっている。向かいの山も天まで届く段々畑だったが現在は山に戻っている。山は雑木林、畑は作物があり、最近イノシシが海を泳いでやってくるのも餌が豊富で人が少なく安全だからだろう。瀬戸内を歩き始めて16年、この間にそのようなことが進行している。

小山の先端にある天理教会(六島で一番大きな建物)には鯉のぼりがはためいていた。信者の研修などに使われていて(それも見たことがない)普段は管理人がいるのみである。 帰りの船がやってきた、瀬戸内海は波が穏やかなので、こんな小さな船でも大丈夫なのである。連絡船と離島...この関係が私にとっての焦点となっている。