OLYMPUS E-1

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デジタルカメラ・レポート」で紹介した、4/3OLYMPUS Eカメラの初号機(プロ機と銘打っていた)が比較的状態・外見良い機械が入手できた。初値22万円以上(2003年)という高価さと、レンズがまだ揃っていなかったためか、あるいは4/3という新フォーマットに抵抗があったのか、数が出ていなくて、かつ古すぎることもあり、なかなか今まで程度の良いモノが適価で見つからなかったのである。

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バックシャンなデザインだ...プロ機らしく、2ダイアル・たくさんのボタン・肩液晶と派手である。ボタンはストラップや液晶保護シェードで隠れている部分も含めて、この方向に15個(十字ボタンは除く)、見えないところに4個、ダイアル・レバーは全部で9個…ただしボタンには機能が最初から機能が割り当てられていて、あらゆる動作がボタンを押しながらダイアルで設定となり、非常に使いづらい=見えない反対側にもボタンがあり、時にトリッキーな取り扱いとなる。これも「はじまりの道」なのである。レンズもいにしえのZUIKO 14-45mmF3.5-5.6(2005年)。

オリンパス ニュースリリース: デジタル一眼レフカメラ「E-1」

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さて昨日の夕刻、半逆光で写した庭のサザンカ(枝の隙間から陽光が漏れている)を撮影、当然にちゃんと写る。500万画素なので等倍まで拡大すると甘くなるが、今まで展覧会(すべてデジタルカメラ使用)を20回ばかりしてきた経験からすると、半切なら充分、全紙でもなんとかいける範囲だ。プロ機としての特徴としてjpeg/RAWだけではなくTIFF保存もできるため、これを活用すればRAW現像の手間も省ける(最近Z6でもTIFF保存が可能になった)し、プリントでも有利だろう。ピント合わせでは今は普通の合焦時の緑の箱(或いは赤い点)は出なくて、フレーム外に緑の丸が表示される=AFポイントは3個しかなく、中心に固定せざるを得ない。合焦時のビープ音は当然に消しているので、画面を見ながら緑丸も確かめる必要がある。AF合焦は想像よりは速く、迷いも少ない。普通の撮影ではAWBや評価測光なども含めて合格だろう。しかし小さなフォーマットの割りにボディは大きく重い。

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上と同じ時に太陽をまともに入れた絵…レンズの性能でもあるが、ボディ由来のハレでもあると思われるので(同じレンズでE-5等ならこうはならない)、強い逆光には要注意=撮影後レビューを見て、少し太陽を隠したり角度を変えれば解決することである。

 

ZUIKO 50mm/F2MACRO

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どうもこのところ雨や霧ばかりで(多忙さもある)満足なテストができていない。

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大雨の中、絞り開放F2で撮影。雨滴のせいでボヤけているが画面全域にピントが来ている。

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こちらも絞り開放、ボケ味も自然である。そしてテレセントリックレンズに近似のため、近接でも電卓やコードレスフォンの形に歪みがない。

 

スマホカメラ

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先日の雪の日、二階からスマホカメラで撮った絵を見てみる…「スマホで充分」が本当かどうかを初めて検証した。 データは、SS1/194-F2.2-ISO50-焦点距離3.52mm-6.2MB(かなり重い)である。元の長辺は4000程度で、900にリサイズしている。AWBや測光、HDRがよく効いていてデジタルカメラより見やすい絵だ。拡大しても矛盾は少ない(スマホカメラの内蔵ソフトが良い)。

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画面の中央から奥を切り出した…焦点距離の短さでF2.2でもパンフォーカスで、これなら一眼レフクラスには及ばないものの、普通のコンパクトデジタルカメラ並に写っている。もちろんカメラのフルフレームで撮っているので、デジタルズームにするとデジタルカメラの光学ズームには敵わないだろうが、フルで(だいたい24mm画角)撮るならばコンデジは不必要なことが分かった。メインカメラは別としてサブカメラは通常の撮影では要らないこととなった。レンズ面の汚れを取ってから撮影としないといけないが…案外汚い。

 

安楽寺境内から

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急坂を登ると安楽寺の狭い境内である。正面に手入れの行き届いた松の木が印象的である。本堂脇には子供用の自転車あり、左の庫裏には(ここからは見えない)洗濯物がたくさん干してあったり、若い住職一家が暮らしていると思わせる。おおむね私の近隣の檀家寺は、檀家の豊かさに応じて小さいながら立派に存立している。

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境内から見た町の景色、随分とこの20年で人口は増えたが、いまだに市にはならず、平成の大合併にも加わらなかった。

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お寺の裏に回ると、六地蔵が立っていて、眼下に広がった景色といい、感じの好い小径となった。土地の狭さ由縁に墓地が少し離れた山中にあるのである。それなら平地の田畑のある場所に…となるが、木津川の氾濫に何度もやられた歴史があるので、一般の家屋も寺社も山手にある。

 

安楽寺

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神社をあとに、河井寛次郎の愛した小径を歩く。新しく建て替えられた家も多いが、昔の風情がなんとなく残っている。伝建地区ではないが、各家々で伝統的な景観が守られている。

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道が狭くて自動車で入りにくいために、空き地や畦、寺社の駐車場に停めて、歩いて村中を巡る。このあたりで最も大きな神社で節分祭があるとのポスターと小さなポスト…これは行けるかどうか分からないが、記憶にとどめるのと同時に次の目的地となる。 町並は大きな富農の屋敷が並んでいる。

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この地区の檀家寺、安楽寺に到達…この道は小型四駆でもギリギリだ。道の半分までは普通車でもいけるが、上半分で左側が極端に狭くなり、しかも左へ落輪すると段差があるため立ち往生となる。しかし通った跡があるので、住職とその家族はギリギリに慣れているのだろう。右の道はトラクターでないと通れない(歩くに限る)。先の武内神社と同様に駐車場はない。この日は村外れの農道に駐車しての撮影だった。

 

毘沙門天

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武内神社本殿の裏山に少し上がると毘沙門天多聞天)像があり、主神の武内宿禰といい北辰信仰のなごりが感じられる。

毘沙門天

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毘沙門天像の横から城山に向かうはずの道が伸びている。ここは次回の訪問で行ってみることにしている。

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裏参道…と言っても表参道のすぐ横にある。土地が狭いのでこのようなことになっているのだろう。白壁は境内の境、真ん中に御神木がそびえている。 さて武内神社を出て、次の訪問地に向かおう。

 

武内神社

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伝稲屋妻城のある城山(これは現在でもそう呼ばれている)を下ったところに武内神社が鎮座している。河井寛次郎も愛したというノンビリとした旧街道の北稲八間集落の外れである。正月用の白木の鳥居がたいへん珍しい。

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境内に上がると、これもこのあたりでは珍しい、やはり正月だけの「砂山に松の小枝」が左右対に作られている。祭神は天孫系の合祀は当然としても、注目する点は武内宿禰が中心に祀られていることで、蛭子神や住吉神などの航海や水運に関連ある神々も合祀されていることである。

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拝殿が絵馬堂を兼ねており、新旧たくさんの絵馬が掛けられている。そして本殿裏側に小径があり、城山へ向かう古道だと思われた=これは次回訪問時登ってみたい。

武内神社/精華町



 

稲屋妻城

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今日も近在の未踏査だった場所を何ヶ所か訪れた。まずは北稲八間地区の後背の山に入り、稲屋妻城の跡地(推定)を踏査…この付近の開発(特に京名和道)によって地形は大きく変わり、町の高台でもある山の頂上に浄水場ができ、そののちこの付近が山城国一揆の中心となった稲屋妻城(稲八妻城という表記も見られるが「屋」が正しいようだ)が推定されて、現在整備が始まっている。ただし当時を示すものは指定された場所には何も見えない。

山城国一揆

稲屋妻城

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一揆と関係あるのだろうが、城跡の一角と見られる場所に朝倉氏(越前一乗谷の大名で著名)の墓がポツンと立っていた…近年まで藪に覆われていたようだが、やはり最近になって多少の整備が始まっている。朝倉氏と山城国一揆との関係はどうなのかネットで調べるぐらいでは分からない。ひとつの課題としたい...畠山氏との関連があるのだろう。

朝倉氏の歴史

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今回は狭い局面ばかりになると踏んで(そして難路)、なるべく軽くて短焦点レンズのセットとなった。 α7Rはさすがにα7R-IIやZ6と比べると「遅い」が、軽くて小型、それと好みに過ぎないが、シャッターボタンが真上から押す(最近のモデルは斜めに押し込むタイプばかりだ)スタイルが好ましい。 レンズはSAMYANG AF18mm/F2.8、これはAF24mm/F2.8の好成績を評価して導入にいたったものである。24mmに比べると多少AFが遅いが撮影に影響するほどではない。純正のレンズがあるではないかとの考えもあるが、画質的にはやや劣る部分があっても(もちろん大きな差ではない)小型軽量そして安価とフィールドワークにはもってこいのレンズである。ハイブリッド測距のα7ならAF速が速まり、更に使いやすいだろう(私の仕事の性質上、高画素は不要)。



 

涌出宮へ

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1/3の近在神社巡りの続き…まずは棚倉駅前の涌出宮へ=正式には和伎座天乃夫岐売神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)という名前なのだが、普通の人は読めないし、もう古来から通称:涌出宮でとおっている(神社側もご覧のとおり涌出宮と自称)。旧山城町の北部(もっと旧の棚倉村)で唯一神職のいる神社で、格式も高い。神事としてはなんと言っても全国的にも識者に知られる奇祭、居籠祭を見なければならない(COVID19のために今年は一般は見られないと思う)。

湧出宮

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神社の森は深い、晴れていても境内は暗くて広い。昔はもっと広かったらしい。

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御神木と言ってもいい木、楠と葛がすでに巻き付いているのではなく、長い間に一体になって高くそびえている。

 

船屋地区

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木津川の土手に上がり河原集落の全景を見る。左奥の森の下が恵比須神社である。集落と田畑が緩やかな何段もの河岸段丘になっているのが分かる。その段丘の上段に旧伊賀街道と恭仁京跡(山城国分寺)があった。

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木津川を渡って河原地区の対岸に船屋という集落があり、名前にも表れているとおり、ここあたりはやはり古来からの水運のひとつの起点として栄えたらしく、比較的最近まで繁盛していた街道・商店街がある(今はシャッター通り)。かつては旧加茂町の中心だったが、今はJRの新快速の止まる加茂駅前に中心が移ったのである。

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そしてここには豊かな水と氾濫源の米作に支えられた蔵元がある。まさかここで今も醸造しているとは思えないが、上狛地区と同様に発祥の地は事務所かなにかとして残されている。これで1/10の河原恵比須神社から船屋地区への旅を終わる。長々と書いてきたが全部で2時間の小さな旅であった。