二月堂

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しだれ桜の下の三叉路、追分けとなっていて分かれる場所には道標が建っている。古くからの道の景色が残っている=たいていの場合、現代と違って追分けの道は左右に分かれたあと、まったく違う方へ行って、途中で横道で戻ることはできず、この追分けまで帰ってくることになる。二月堂が近くなった。

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石畳の道を歩いていくと両側に庫裏や宿坊の建物が迫ってくる。緩やかに登ってきたために標高を感じない楽な道である。

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二月堂に入る…少しばかり急階段を登らないと舞台まで行けない。左右から上がれるのだが、どちらが楽なのだろう。高齢化社会、これは大事な問題なのである。もちろん車いすを使う人のために、裏側に車道は用意されている(資材の運搬にも欠かせない)。

 

しだれ桜

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更に人気の少ない裏道を進む。水路のある辻を左にとる(昔の分かれ道はたいてい三叉路)。遠くに二月堂が見えてきた。

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そしてまた土塀の先に辻があり、そこを右へ…左は笠置の方へ通じているのだろう。ここに立派なしだれ桜が満開であった。

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その桜を見上げて撮る。ソメイヨシノに比べると赤味が濃い。2-3年前の台風の影響で多少枝に傷みが見られるが、木の勢いが強くて花はたっぷりと咲いていた。観光ルートと反対方向から二月堂へ詣ることにする。

 

無縁仏

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大仏殿の裏側へ回り、最初に出した広場へ入った。ここも観光客は少なく、鹿はノンビリとしていて、弁当を広げている家族にもつきまとうようなこともない(ただしここも鹿の糞だらけ)。

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広場はかなり広く、ポカポカとした季節、修学旅行の季節以外の昔の奈良公園の風景が思い出される。鹿が集まっているのは鹿煎餅を持ってきた人がいたからである。

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広場の隅には無縁仏が集められていた。板碑のようなものは五輪塔レリーフされていて墓石と分かる。力石に見える丸石も幾つかあるが、これも昔の墓石の形式のひとつのように思われる。今まで「力石」と思っていた各地で見た同様のものは本当は墓石だったのかも知れない。

 

勝尾寺

西国二十三番札所 勝尾寺

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今日は良い天気で箕面勝尾寺へ…25年ぐらい前に行ったきりの(実際は10数年前にちょこっと寄っている)寺である。当時はひっそりとした山寺と感じたが、今は観光化に成功し大盛況であった。1時間半に1本の路線バスがやってきた…皆走る。

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今は箕面から茨木に通じる車道があるが、本来の参詣道は千里の方からの山越えの道である。今はハイカーの通り道となっている。筆者も何度もこの道(かなり厳しい)を上り下りしたものだが、古代からの道でキリーク道標が道のそこここに残っており、参道自体が文化財である。

勝尾寺(かつおうじ)3~7 町石五輪卒塔婆

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さすがに山の中のため、桜は散り残っているし、さまざまな春の花爛漫で境内全体が輝いている。

今回は下の機材である。コントラストを一段上げた設定にしていたが、そろそろコントラストを下げないと…日差しの強さが増してきているように思う。

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鹿

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ほとんど観光客のいない草原を歩けば、ノンビリと草をはむ鹿の群れがいた。観察していると観光客の近くに行って餌をねだる群れと、人の来ない場所で過ごす群れがあるようだ…どちらも公園当局によって餌は与えられている。40年前は野生に近い群れにも遭遇した(少し危険)が、この20年ぐらいは見かけなくなった。

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近づく…超広角レンズのため、実際はごく足元である。しかし逃げもしないし、気にもかけていない。人がいじめたり脅かしたりしないためだろう。その代わり野生はほとんど失われている。

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そして広場に巧みに水路を設け、ヌタ場を造っている…ここで鹿達は泥の中で臭いを消したり(ひょっとしたら防虫?)身体を冷やしたりしている。

 

戒壇堂

戒壇堂

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裏道の「入江泰吉旧居」の電信柱を曲がると景色は一変し、東大寺の境内となる。目の前の階段を登ると重厚な門と土塀が表れる。日当たりが良いためか、桜は半分以上散っていた。

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登り切ったところから振り向いて撮影、右の家並みと林の間から出てきたのである。

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門の説明文を読むと、東大寺戒壇堂とあり、四天王像その他の仏像や仏教美術が所蔵されているようである…ただし修復中で全ての所蔵品が見られるわけではない(令和5年完了)。

なおも歩く

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住宅街の中にこんなに大きなお堂があったりする。もちろん小さな社や祠はあちらこちらに点在する。

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これも不思議な景色だ…完全に敷地へ入れなくなっているのに「私有地に付き駐車禁止」の張り紙、道は公道(駐車禁止区域である)にも関わらず、何か権利でもあるかのようだ。そして塀の向こうは小さな家と林が見える。

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かなり歩いてようやく東大寺の裏の門前にたどり着いた。通常の興福寺から奈良公園を抜けて東大寺の表(大仏殿あたり)を歩くのとはまったく違う景色であった。観光ルートではないため地元の人以外はほとんど歩いていない。また次回は1本道を外れて歩いてみたいと思う。

 *おっと、画像をリサイズしすぎた。

下町カレー

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am11:30到着、すでに満席である。外で10分ばかり待っていると、女将さんが出前に出るらしい。エアコンの上にあるのが「大盛り」であろう。ルーは別の皿に入れて持っていった。

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狭い店内、メニューはカレーとコーヒーのみ。名物カレーは極小盛り(これが普通の喫茶店サイズ)、小盛り、中盛り(ここまでがどれも700円)、大盛り(800円)、特盛り(900円)…値段も手頃だし味も良い。

f:id:xnagy:20210407184052j:plainこれが私の注文した中盛り、普通の店の2倍以上のご飯の量である。茶碗なら三杯以上だろう。ふんわり盛ってあるのではなく、圧縮して山を作っている。ルーはお代わり自由、その代わりルーが無くなればカレーは終わってコーヒーだけの喫茶店になる。早くから満席になるのはそのせいで、我々が食べ終わる頃(12時半)には客は空いていた。大盛りは出前で見たが「特盛り」とはどんなものだろう!?

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店を出るとこの景色が断続的に続く。閑静な住宅地と寂れた商店、そしてアパートや文化住宅…なんとも不思議な光景である。

 

喫茶:田川

奈良県庁からすぐの「喫茶 田川」

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道具屋の裏に回ると、昔はもっと大店だったようで、店の前以外に横にも入り口が二ヶ所もあった。「寺川道具店」の看板がそれぞれに下がったままである。

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また別の景色、このあたりは文教地区でもあり、学生アパートもずいぶんと目立つ。寂れた古い古い街と学生の居る新しい街が交互に表れている。

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そして小さなビルのシャッター街に一軒の小さな喫茶店:田川がある(10人程度しか入れないため行列ができることもある)。続きは明日♪

 

きたまち案内所

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観光地図にも載らない小さな社(初宮神社=別名:八神神社)が見えてきた。由緒は奈良時代にも遡る古い神社で、見たところ変わった御幣の飾り方である…大きな枝を鳥居の受け金に刺して、葉が枯れても残されている。

【初宮神社】

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更に進むと、古い郵便受けか新聞受けがあった。ひょぃと店を覗くと、今では珍しい古道具屋(骨董品店ではない)がまだ営業していたのである。中にはちゃんとお婆さんが店番をしていた。

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古いものばかりではない。やや大きな辻の角に「きたまち案内所」の看板と自転車…電気も点いてここにも人が居る。どうやらこの一帯を総称して「きたまち」と呼ぶらしい(行政上の地図では細かく町名は分かれている)。なんだか昔の交番の跡を改修したように見える(場所柄たぶんそう)。左の高い植え込みの向こうは奈良女子大の校舎である。この辻を右へ(西へ)折れて先へ歩くことにした。