学校跡

城山を港と反対側へ少し下ると旧の小学校跡に下りる…前回来たときはあった狭い通学路の学校の生け垣の木はすべて刈り払われていた。その土に古いソフトボールが埋まっていて、何十年かぶりに日の光を浴びていた。

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通学路の左を見ると島の反対側がほとんど見渡せる。こちらは港ではなく、三河地方では有名な海水浴場の砂浜で、民宿や海の家が多く(かなり立派なホテルも建っている)、港側のいかにも漁港という雰囲気とは違っている。新しい学校は島の反対側、写真に見える山の向こうに移転している(更に集落から遠くなった)。下の墓地の寺は松寿寺である。

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城山へ

水天宮の横から階段を上がると城山の石碑と出会う。参道はやはり掃き清められていた。

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城山山頂は人の手が入り、かなりの広さである。まずデンと城山水神天狗の石碑(これは新しい)があり、その他の小さな社や石碑に金比羅・八大龍王・天狗...八百万の神々が祀られている。特に社殿はなく、昔からの信仰の姿を想起させる風景である。

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その中で印象的だったのは自然石を据えた石碑で彫られた文字は判別が難しいが下の二文字は龍神(上は光川のように見える)で、横の「マエブレノ神」も最近書かれたものではなく、彫り文字が見えにくくなったため上から墨を入れたものである。このような不思議な神の憑りが照葉樹の森に点在している…山頂の霊場は蒸し暑く蚊や羽虫がたくさん飛んでいた。

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水天宮の2

神棚の近くへ行くと、カミ本体は鏡であらわされているが、色々な見たこともない神具が置かれたりぶさがっていたりする。分からないことだらけで、このような離島にこそ明治時代より前の信仰のありようが残っていると合点する。次回の来島ではもう少し聞き取りをしてみたい。

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外を見ると鬱蒼とした照葉樹林が茂っている。学校ができる前は本当の山の中だったのだろう。それでも民家が二軒建っていた(一軒は廃屋)。

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篠島水天宮

さて山頂付近の水天宮の中に入る。社と言っても手前に信者や島の人が集まる四畳半ぐらいの座敷があり、調味料やポットなどが置いてある…時にここに集まるのだろう。その奥に護摩壇があり、神の祭壇がある。建物は外から見ると物置小屋か小さな民家にしか見えない。しかし供物の量は極端に多く信心を集めていることは間違いがない。

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祭壇の上には天狗が祀ってあって(いちばん右の面は何の神か不明=憤怒相である)水神様には見えない。いよいよ見たことのない異形の神や供え物ばかりだ。面も室内も護摩焚きの煤で真っ黒だ。

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磨崖仏の続き

富川磨崖仏の向かって右へ細い道を行くと、岩のつきたあたりに水神の社と、湧き水やその水を下へ流す古い遺構が見られた。このパイプ製の鳥居と看板は昭和63年と書かれていて新しいものだが、石造りの遺構は風化の度合いを見ると磨崖仏と同等の古さと思われる。今も誰かの手によって最低限の清掃がなされ、歩かなければ分からない聖地の謎である。

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こちらは仙禅寺全景、元は大きな寺域を誇っていたが戦乱により伽藍や僧坊は消失し、近年秘仏だけを祀る堂宇が造られた。この観音堂は下で紹介した磨崖仏の上に建てられている。そして山道を少し奥へ入ると奥の院のあった場所に別の磨崖仏がある。

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LUMIX GX7-IIについて言えば、AEが暗い方に引っ張られて、このような暗い状況では明るく写りすぎる…ここでは肉眼に近く画像を暗くしている。AEやAWBの設定は各社とも違っており、かなり撮りこまないとベストの画像は得られない。と言ってすべてRAWでとなっても、それもソフトの使いこなしは簡単とは言えない(単なる現像だけなら簡単だ)。

滋賀の磨崖仏

富川磨崖仏

今日は好天の中(気温25℃=暑い)滋賀南部の磨崖仏2カ所を巡った。まずは先月に続き大石の富川磨崖仏だ。台風の影響で崖崩れや倒木に阻まれて同行の友人はここに達することができなかったため(私は何とか辿り着いたがヘトヘトだったため周囲の状況は見られなかった)再訪問である。1ヶ月前より木々は紅葉を開始し森の雰囲気も華やかだった。前に私が見つけた道(倒木のため見えなかった)も木々の葉が落ちて見やすかった。それでも相当の急坂と多くの倒木を乗り越えて麓から20分程度で到達した。阿弥陀如来三尊像が刻まれ、ちょうど光の角度も良くて多くの記録が残せた。たまたまであろうが如来の右耳付近から湧水が漏れていて長年の間に岩に耳だれのような模様を作っている…画面外の左下に摩滅した不動明王が線刻されていて(どうも阿弥陀如来と年代が違うようだ)、それらが由縁で「耳だれ不動」と呼ばれていて、いつの頃からか耳の不自由な人が願をかけてきた(今も続いている)。小さなお堂の中には「耳の通りがよくなりますように」と錐(キリ)がたくさん奉納されていた。この岩の裏の岩屋(奥の院扱い)やすぐ横の森の中の水神社とその湧き水…聖地には色々なものが寄り集まる。

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仙禅寺磨崖仏

そして信楽:朝宮の磨崖仏だ。寺が焼失後、雨ざらしだったため薬師如来らしいが風化により判然としない…仙禅寺はこの岩の上に新しく建てられ、中には秘仏の十一面観音が奥深く安置されている(見ることは当然できない)。更に奥の院に別の磨崖仏があるようだが、ここで時間切れ…また来ることにした。信楽には更に別の磨崖仏がある。

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カメラはLUMIX GX7-II+G VARIO12-60mm F3.5-5.6。画質はオリジナルLUMIX GX7とさほど変わらないが、電子シャッターやメカニカルシャッターなど非常に静かでスムースになった=ただしファインダーはLUMIX GX7より見えが悪くなったように思われる。

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前島上陸

たったの5分で島に到着。陸の便が不便なせいか、ほとんどの来島者は車で、歩いて乗ったのは地元の人を除くと数名である。この島は比較的広くに民家や各種の施設・遺跡が散在しているため自動車が良さそうだ=道が整備されているのと自転車では高低差が大きいためだ。

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さてここからはα7+SONY-FE28mmF2である(つまりすべて28mm画角)。私も車なのでフェリー乗り場東隣の浜に行く(こちらが旧のフェリー発着場)と牛窓灯台が見えてくる。変わった岩浜で、どうも長い年月をかけて右の岩山から転げ落ちて堆積したもののようだ…それほど波をかぶる場所ではないのに低い防波堤は明らかに落石で壊れている。前回来たときは満潮で浜を歩けず、防波堤上は傾いて危ないために灯台には到達できなかった。今回は潮が引いていたため浜の岩の隙間を歩いて、最後に防波堤に取り付いて灯台まで辿り着いた。狭い海峡、簡単に橋は架けられる距離だ。しかし聞き取りによると、この海峡は好漁場で架橋に漁業者が反対して連絡船でとなったようである。その代わりどう考えても赤字の連絡船の往来は多く、島の人々(そして観光客)の至便をはかるための多額の補助金は出されているようだ。

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牛窓:前島

篠島への旅は少し休止して瀬戸内の旅を紹介しよう。岡山県牛窓にまずやって来た。と言うのも今回の本旨は笠岡諸島なのだが、遠くへ行く場合、1日目はどうしても時間的に中途半端なので、笠岡に着くまでに1カ所寄ることにしている。そして半日撮影をして、夕方に終えて夜に現地ホテルに到着となる。島に寄るなら姫路の家島諸島・岡山の日生諸島牛窓の前島になるのである。ここの航送賃はたった5分とは言え安いので車ごと乗り込む…今回で4回目となる。

時刻表と料金 | 前島フェリー 往復料金である。

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10台足らずの車を乗せてフェリーは出航、本数が多いので皆あせってはいない。牛窓日本のエーゲ海などと呼ばれるが、私にはそれより昔から港町として栄えた歴史に興味がある…船着き場の裏山は全体が史跡で、前回は1時間ほど歩いてみた。ここでα6300のセンサーダストに気が付いた=上の写真はレタッチで消しているが、下の写真では消していない…画面左の雲の中に糸くず状の埃が見えている。ここでは16mmでF11なのでハッキリとファインダーでも分かった。持ち出すときはテストしてからが原則としないとイケナイ…

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瀬戸内探訪

11/3-5で瀬戸内の離島(岡山)を四島歩いた。1日目は時間が中途半端だったので牛窓:前島(4度目)、2日目は笠岡諸島の高島(3度目)と六島(初めて)、3日目は同じく笠岡諸島の真鍋島(2度目)だ。この写真は平日にも関わらず一番観光客で賑わっていた真鍋島港で帰りの船を待つ間に出会った猫である...港の堤防沿いに歩いていると堤防の上を私と並んでどこまでも歩いて来る(おやつでもくれるのかと思っているらしい…しゃがんで撮ったのではなくアイレベル撮影)。2年ばかりの間にずいぶん猫が増えた印象である。ここに停泊していた木造渡海船も処分されてもう無くなっていた…もちろん前回来たときに写真記録はとってある。今回は渡海船について少しの聞き取りができた。

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カメラはSONY α7+SONY-FE28mmF2とα6300+Zeiss Vario-tessar E16-70mmF4で、今回は島歩きのためα6300をメインにと考えていたのだが不覚にもセンサー面の埃を画像200カット程度で発見(発見が早くて良かったが持ち出す前にテストすべきだった)…旅先でセンサークリーニングという訳にもいかず、α7が残りの2日半2400カットを撮りきった=旧型なのと数を撮るので壊れるのではないかという不安があったが大丈夫だった。持ち帰った直後なので汚れているがこれから寝るまでにボディ・レンズはきれいにする。

貼ってあるシールはα7Rと簡単に区別できるようにしているのである。外形はまるで同じだけれど全く異なる性質のカメラだから。

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尾根に立つ

かなり登ると(と言っても海抜40m程度)尾根に出て、反対側の浜が見えてくる。この島はこちらとむこうの山が低い尾根でつながった形で、ひょっとするとふたつの島が砂州でつながったものかも知れない。右は小学校の校庭だ...現在はむこうの山に新小中学校がある。土地がないため、どこの島でも学校は人の住まない不便な場所にある。

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尾根を反対に歩くと、こちらの山の頂上付近は霊場となっていて、その中心に水天宮の社がある(外から見ると普通の家)。前回来たときの終着点であり、その時は暗くなっていて撮影が不本意な結果となった...港から真っ直ぐ歩いてきたので徒歩20分、まずここから島の取材の始まりである。

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