先週は上狛地区の駅や寺社を訪ねたが、今日は木津川に近い場所を訪問した。ここは木津川の水運とふたつの重要街道(大阪から伊賀へ=現在の国道163号線/奈良から京都へ=現在の国道24号線)の渡し場と水運の揚場のあった川湊で、大きな宿場町を形成していた。現在は橋が架かり、道路も整備されたため水運は衰えたが、町の繁栄の面影はまだ色濃い。茶船でお茶の集散地・その製茶屋や問屋などは今も栄えている。ここはそのひとつ福寿園の本社と工場のある一角である。伝産地区ではないが、多くのお茶に関わる企業がこぞって町並みを保全しており、高速道路も幹線鉄道もない当地にとどまってきた。自販機は当然に「伊右衛門」茶ばかりである。むこうは本社の屋敷(今も当主の家でもある)、画面右に工場がある。
川湊へ行く街道筋には宿場町の雰囲気が残っており、すでに商店や宿屋の多くは廃業しているが、それらしい風景はそこここに感じ取れる。向こうが川湊、背後が福寿園…今日はOLYMPUS E-510+ZUIKO 9-18mm/F4-5.6で撮影=ダイナミックレンジは狭いが、だんだん設定は煮詰まってきた(良好)。これから先日の写真と今回の写真を混ぜて上狛地区を紹介していこう。往古は「狛」(コマ)と言うように渡来人の版図であった。すぐ近くの木津川河岸段丘上に高麗寺(コマデラ)廃寺跡や山城国分寺跡、恭仁京跡が並んでいる。もちろん上狛に対して木津川の数キロ下流に下狛という地区もある。古代から現代までの歴史と文化に囲まれた地方に住んで幸運である。