収容所前のドイツ兵達が許可を得て造ったサッカーやテニスなどのコートの跡地は公営住宅などになっている。収容所の跡地の木々には100年前のものもあるかも知れない…ここを後に彼らが海水浴に通った櫛木海岸を訪ねた。
今は静かな入江だが当時は海水浴場だったらしい。外出許可を得て、板東から山越えで4時間以上歩いてここまでやってきた=車で走ってもかなりの峠越えだ。現在は民宿の跡の雰囲気が残っているぐらいで、海水浴場とは言えない(砂利浜である)。徳島大のヨット部の建物と大きな陸送の倉庫があるぐらいだ。
しかし近年のちょっとしたブーム(映画「バルトの楽園」制作・放映あたりから…)によって、ここもゆかりの地として、海岸の一角、八幡社横に東屋が建てられ、周遊コースのひとつになっているようだ。
これで徳島のドイツ兵俘虜収容所の跡をたどる旅はお終い。
*追記…運良く、前々回に来たときに映画のロケ現場を保存した(たった5年の公開)「阿波大正浪漫 バルトの庭 」も見ることができた=現在はまだ建物等はあるものの閉鎖されたままである。再度予算化して再開館して欲しいものだ。