与島港

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車の通らない立派な車道を歩いて島の北辺に辿り着くと、意外なことに立派な港があった。連絡船は架橋と同時に廃止になったし、島の北側に集落があるわけでもない。これもチャーターされた観光船の船着き場なのだろう。しかし現在も資材運搬に使っているようだ。

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港を過ぎるともう地道である…しかしトラックの通ったあとがあり、この時点で採石は続いていると確信した。そして島を一周する道もあると推察して前へ進む(道標も地図上の道もないことになっている)。切り通しを過ぎると島の東岸に到達する。

 

Canon G1X-2

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また違ったお話し…与島で使ったCanon G1X-2はCanonサイトには載っているが、もう生産はしていないようで部品も品薄となっている。そこで取りあえずフィルターアダプターがカタログから消えそうなので購入…レンズバリアがあるので不必要に思えるが、その繊細な構造のバリアに脆弱性があり、一度カバン内でバリアに圧力がかかったのかバリアが開かなくなったことがある(当然メーカーにて無償修理)。フィルターはレンズ保護ではなくバリア保護ということになる。

キヤノン:PowerShot G1 X Mark Ⅱ

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1.5インチ・1300万画素Canon製センサーはエンジンやレンズ(24-120mm画角)とのマッチングが良くて(G1X-1も使用していて分かっていた=2機種と異なるIII型へは行かない)ラージコンパクトとしてその他の機能も含めて重視していた。この度キヤノンクラブのアウトレットで初値の半分以下で出たため「これも運命」と更に1台購入した…ファインダーも見えの良い旧型はメーカー在庫僅少、もう少しすると各店の在庫を探すしかないだろうが、筆者はCanon EOS M3(このカメラは使いにくくCanon EOS Kiss Mを使いそう)用にもうひとつ持っていたため買う必要はなかった。ラージコンパクトが1インチが標準となった今、このようなカメラが出されることはなさそうである(m4/3やAPSセンサーの流用ならあるかも)。

 

オアシスパーク瀬戸大橋

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広大なソーラーパネル群を過ぎると「オアシスパーク瀬戸大橋」の元の門に辿り着く…画面の右は料金所で、何かリゾート施設の跡地である。現在はソーラー発電所となっているので掃除や草刈りなどは定期的におこなわれているようだ。当初から一般車両は入れなかったので(ひょっとするとここだけはPAの一部として入れたものか?)観光バスなどを使った団体客をあてこんだものと思われる。中途半端なICやPA運用の犠牲となった場所だろう。

オアシスパーク瀬戸大橋ベゴニア海花園

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リゾート施設の前は大駐車場があり(もちろん今は広大な空き地)、1988年当時に植えられたフェニックスが元気に育っていた。単なる事業者の失敗ではなく、ここに多額の税金が使われたことも忘れてはならない。

 

「フィールド写真講座」

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今日は1日5時間、モニターを見ていて疲れたので簡単に更新(^_^;) 「フィールド写真講座」での撮影実習…堺港の呂宋助左衛門(伝説的な堺の貿易商)像の前で。だいたい1日4時間ぐらい歩いて(集中して撮影できるのはその程度だ)一般的には写真撮影に行かないところを回る。写真クラブではなく、あくまでフィールドワークをしつつ写真を撮るのが本旨なのである。

 

採石場跡地

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更に北へ歩くと島の北端に着く…与島には多くの橋桁が設置されているが、最北端のものは採石場跡地のかなり危なく見える場所にあった。もちろん地中深くまで基礎は打っているため安全だろうが、瀬戸大橋の難しさを推察できる…いずれ新幹線がこの橋の在来線横を走れる設計になっているのである。

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背後は採石場跡地を平たくならしてリゾート施設があった…それも廃業して現在はソーラー発電所となっている。自転車は現役ではなく、その昔使われていたままロックされて錆びるにまかされている。向こうに現在も細々と採石がおこなわれている岩山が見えている。

 

島内へ入る

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山の中の荒れた小径を出ると集落やその他の施設のある広い場所にでる。ここは島民と路線バスだけが出入りできるインターチェンジのゲート、山の向こうがPAである。橋梁関係者以外に人影はない。

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そして区画整備された居住区へ…しかし人の気配はなく、たった1軒の商店も閉ざされて長い期間が経っている。バスも通ってはいるがバス停に人はいない。

 

与島へ

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天気予報が良くなくて心配したが(山陽道の兵庫・岡山県境付近では小雨も降っていた)瀬戸大橋あたりには曇り時々晴れという状況になった…瀬戸内はさすがに暖かかった。瀬戸大橋に与島PAがあり、路線バスや島民の車は島の中へ入れるが、一般の車は広大な駐車場に停めることになる(西に塩飽諸島がよく見える)。しかしPAの外れに島の集落とつながる歩道が目立たなく延びている(標識はない)。画面左がレストランや土産物店、画面右に秘密っぽい小径がある。島の集落とPAは隔離されているのだが、島には商店や食堂などがなく、小径を通ってPAに遊びや買い物に来るのである。決して観光客用ではない。

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目立たない道も元は遊歩道のように整備されていたらしいが、現在はまともに通行はできない。真上が瀬戸大橋である…電車の轟音が聞こえる。なぜ隔離的にしているのか不明だが、ひとつだけ分かっていることは島民と公団の約束事として、橋桁を置く代わり車やバスの島民専用のインターを設置し、逆によそ者が来ることを嫌った結果であることは分かっている。しかし離島だった頃から連絡船は来ており、民宿や商店も複数軒あったのである。離島に橋が架かったり埋立で本土とつながった後で「変な人達」が来て、ムラの人心に悪影響を与えた話はあちこちで聞いている…そのようなことで、少しいびつと思われる方法(なぜなら橋は税金で架けられ、島自体も個人の所有物ではないのである)で公団は橋桁を確保し、島民は橋でつながる利便性を得たのであろう。別の橋桁の島である櫃石島や岩黒島はPAもないため(連絡船は廃止となった)1日数本のバスでしか行くことはできない。

 

 

塩飽へ

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2/8-9で瀬戸内・塩飽へ久しぶりに行った…これは2日目の粟島である(1日目は与島)。天気予報では芳しくなかったが、曇ってはいても雨に降られることもなく、そして予報よりも暖かかった。他の取材報告も済まないうちに今週は今回の写真を出したいと思うのである。

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機材は24-120mm画角のCanon G1X-2と雨を警戒してのα7である。結局、与島はCanon、粟島はα7となった。α7+SAMYANG AF24mm/F2.8の組み合わせは現在レンズ交換式フルサイズカメラでの最軽量のものである(AF)。どちらも快適に写せた。

 

信貴山全体図

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全体図を見ると(ガイドマップにありがちなことで縮尺はいいかげんである)大門湖のほとりの駐車場から橋を渡って南側の旅館・土産物屋街で食事をとり、元へ戻らず左上方向から4玉蔵院付近から朝護孫子寺へ裏から入った…ここから本堂へ向けてかなり密集したお堂群を3時間ぐらいかけて回った。

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話を戻して…三重塔横の新しい地蔵堂に入る。「日本一」とは何を指すのだろう…更に大きく古くからある地蔵像を知っている。

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中は比較的狭く、奥に鎮座している地蔵像は大きいだけではなく珍しい半跏像である。

このような光線状態でもCanon EOS Kiss Mは破綻無くカメラまかせで写せる。今度Canon EOS RP(簡単フルサイズミラーレス)が出されるそうだが小型キットレンズの登場を待って使ってみたいと思う…簡単・軽量が一番の魅力だ。

ふたたび信貴山

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今回は以前来たときと違って裏側から入ったため、本堂から見て隅っこの方にある場所をくまなく見られた…ここは聖徳太子堂、現世御利益の塊のような場所で、あるゆる仏様(なかには神様も)が積み上げられた堂内である。そして通路の床には四国八十八カ所の寺のプレートが貼ってある。

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聖徳太子堂から続く尾根の向こうに三重塔と巨大仏像が見える。境内に入って間もなしだが、原初の密教のあり方を見たような強烈な印象である。