神島外浦

連絡船の時刻まで時間があったので港付近を散策した。

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神島(コウノシマ)は元は島だったが、笠岡沿岸の大規模な埋立で本土とつながっている。しかし外浦地区は現在でも連絡船の一部が止まる港で、深い笠岡湾(笠岡からここへ来るほうが、ここから高島へ行くより遠い)の奥の本港ではなく、ここまで車でやって来て連絡船に乗る人も多い。外浦から高島まで10分以内で着き、料金も180円で済むのである(笠岡からの半額以上安い)。かつての島だった時代の風習として島遍路がここでは残っている。神島全体で四国八十八ヵ所の札所が設けられていて、そこを事あるごとに巡るのである。これは瀬戸内の島の多くに見られ、白石島のおばあさんに聞くと小学校時代(戦前・戦中)は遠足で弁当を持って歩いたとのことである。現在はお詣りがてらのハイキングコースとなっており、道の手入れも最低限なされている。

この地区は特に船着きが多かったと見えて、街道筋はどこも旅館造りの建て方であり、現在も何軒も営業している(海と陸の宿場の交差点)。道は昔のままの細い道で、交通量(現在は笠岡と福山を結ぶ抜け道)が多いためフラフラ歩いていると危険である。左隅に地神の碑が浜を背景に建っている。

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笠岡諸島:高島

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今回は笠岡諸島への旅である。まず一番本土に近い高島へ(雨)4度目の渡海である。島民の夢をかけて民宿街を美しい南の浜辺に20軒ばかりで作った(集落は北岸)。島には歴史的遺物や遺構も多く、本土から連絡船で10分程度の距離のため意欲的な試みと思われたが、残念ながらほとんどの民宿は廃業となり、残った2軒のうち1軒も3月いっぱいで閉めるそうである。今は春先なので誰もいない浜辺だが、夏になっても多くの人が来るわけではない。港からひと山越えて歩くしかないのと(かなり不便)、本土に近すぎて日帰りで充分遊べることが原因か、そしてある程度の観光客が来ても民宿での働き手がない…瀬戸内の多くの島で一度は試みられた観光振興も成功しているのはごく一部である。しかし笠岡市ではこの諸島を日本遺産にしようとの計画がある(それは可能と思われる)。向こうの島は白石島で、多少観光的な成功を収めている。ともかく今回も多くの映像と聞き書きを得られて、毎度ながら離島の今後について考えさせられる2日間だった。離島振興を一般化するのは不可能で個別個別に考えていく必要性がある。

機材はNikon Z6+NIKKOR Z 24-70mmF4だけ...これでほぼ全部の写真が撮れることになった。暗いところに強い(ISO高感度特性の良さだけではなく、手振れ補正の強力さもある)ためにストロボも不必要だ。

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二眼レフの続き

*フィルムカメラ時代(1999年)に書いた原稿なので、現在と比べると違和感のある表現もあるが、当時の感想をそのままにしておいた。

f:id:xnagy:20190316185854j:plainオートコードEPとIII

前回に続き二眼レフの世界を垣間見てみよう。先日他の調べ物があって図書館へ行ったときのこと、用が済み時間が余ったので何気なく書架にあった「写真工業」の1999/11号を読んだ。記事としては例の「ヘキサーRF」の特集を載せていたのでそれを読み、あとのページをパラパラとめくって行くとClassic Cameraのコーナーがあって(著:伊東二良氏  これを以下1.と呼ぶ)ここにミノルタオートコードの解説がなされていたのである。偶然にも私と同じ機械でのテストが載っており、大変興味深く読ませて頂いたと同時に前回の「カメラ談義-8-」に書いていた事と関連があるので参考となった。私は文献研究者ではないのでこれ以外には「カメラ毎日」1984/7号の「名機いまだ衰えず」(著:児島昭雄氏 以下2.と呼ぶ)しかまとまった形では読んではいないが、先の伊東氏の評論に出てくるオートコードEP(米国むけ輸出仕様=PX専用との説もある)と児島氏の評論で使われているオートコード3を両方持っており、実写も含め現物で確認しつつ述べてみたい。歴史的な記述は両氏の論によるところが多いこともおことわりしておく。前回も書いたとおり、私が写真を本格的に始めた頃、いや直前の1970年(私は1971年から本格的に写真を始めた)に生産が中止され、私にとって買えなかったが中判カメラのちょっとした憧れの対象であった。勿論、中古なら手に入ったのだが前回に書いたとおりの理屈で長く忘れていた。しかし途中「秋山亮二」や「植田正治」など私の好きな作家の作品のクレジットに「ミノルタオートコード」が出てくる時なんとはなしに気になっていた事も事実である。ただコマーシャルの仕事をしている頃は二眼レフなどとはどうしても考えに至らなかっただけである。そして中判のフォーマットなら、今の私の写真には二眼レフが最も適した(そして35mm判はライカM)カメラだと云う結論に達した。

他の二眼レフの事は後日に譲るとして、まず友人がハワイへ行った際、妙なオートコードを買ってきてくれた。輸出用と云うのは距離の表示がfeetのみで、吊り金具に「EP」(エクスポート)と彫ってあるのですぐ分かったが、疑問としてあった2の論にあるようにシャッターはシチズン製ではなく(2の論では国産のモデルのみを論じてあり、オートコードのシャッターはすべてシチズン製である由、述べてある)セイコー製である事が1の論で氷解した。輸出モデルは1955~年製のオートコードL(セレンメーター付タイプ)からメーターを除いた物であると論じている。私が管見するにオートコードやオートコード2、オートコード3、等の各タイプとシャッターのみならずボディ回りの細かな点を見ると微妙に違い、それでいて大きく見るとほとんど同じの不思議なボディに見えていたのである。ただし違いは分かったが、では何のために国内モデルと異なったタイプにしたのかは少しも理解できない。そもそも国内バージョンでもオートコードは基本モデルが7種、Lタイプが2種、後期のCdsメーター付が3種、その他フォーマットが5X4、4X4判が撮れたRAが1種と1970年に生産を止めた後、希望者の声が多く、部品を集めて100台程生産されたオートコード2型改とも云えるタイプが存在し、生産を開始した1955年から約15年でかなり多くのマイナーチェンジを繰り返した。そして私にはどう考えても必然性のある改変とも思えないのである。どうもこの時代は手作りに近い生産方法で、ほんの少しの改良を施すことは比較的簡単であり、コストの大きな上昇には繋がらなかったのであろう。現在ならこの様に毎年のようなマイナーチェンジはあり得ず、何年かごとの根本からのモデルチェンジとなるであろう。輸出モデルもそのように考えれば細かな違いの差が理解できよう。ともあれこのオートコードEP(このネーミングは私の作った便宜的なもので実際にアメリカで、あるいはミノルタ社内でどう呼ばれていたかは不明である)は他にも不思議な所があり、順に記して行こう。まず外見も中を見てもほぼ新品である点、まずは死蔵されていたカメラと思った。なにしろ1955年を大きくは越えない製品であり、40年以上経っているとは見えない。傷も補修の跡もないし、埃を被ったり汚れを洗いにかけた痕跡もない。作動も何の問題もなく、一カ所だけビューレンズの枠の上に薄く錆が浮いていた位である。早速テストである。仕上がったフィルムを見てびっくり!完全にアウトフォーカスであった。修理屋さんの測定器でチェックしたところピント板、ビューレンズ、ピントレバーは合っているが、肝心の撮影レンズがノーマルの位置にあるもののピントが全く合っていないことが判明した。つまり撮影レンズがノーマルのものではなく別のオートコード(あるいはその前のフレックスやコードの物かもしれない=ロッコールとなっているがオートコード3の物とは全くコーティングが異なり、レンズ外周の文字のデザインも古いタイプである。ただしレンズ構成は覗いた限り同じ3群4枚のテッサータイプである)のレンズが付いていたのである。外見からは同じように見えるが、レンズの場合バックフォーカスが数ミリ違うと、とんでもない事になる。とりあえずレンズを移動・調整し、ピント板、ビューレンズ、撮影レンズのピント位置を合わせてもらいピントは合うようになった。ピントレバーだけは無理で1.8mまでしか繰り出せない(ノーマルなら1mまで)状態となったが良しとしよう。レンズはやや古いタイプとはいえ何も傷、曇りもなく、これも新品と同様に見える。類推するにアメリカの業者によってオートコードの部品を集めて作った物かも知れないと思われる。すべてのオートコード更にはなにがしかのフレックス、コード・オートマットまでがマイナーチェンジを繰り返したために部品の共用が可能で、寄せ集めでも組み立てられると云うことなのであろう。このハワイの店も詐欺を働くような店ではなく、分からずに販売していたことは間違いがない。レンズの外見はそれ程変わらないが、その描写はオートコード3と比べると格段に悪く、周辺は同心円方向に流れ、典型的な残存非点収差が出る。当然ながら絞ってもほとんど解決しない。中央部はほぼ良好である(勿論その時代としては)が絞りが開いているとピントが合っていてもハイライトに滲みがあり、実用の外と云えよう。色彩は不思議にニュートラルである。この美しさと珍しさからするとコレクション用としては良いかも知れない(ちなみにハワイにて日本円で約38000円)。

さて、次に入手したのがガラクタ屋的な中古カメラ店にて、これも不思議な新品の純正革ケース付のかなり使い込んだオートコード3である。かなりの傷があり、しかも素人が施したような補修のあとが各部にあった。しかもケースがあるのにストラップがない。このカメラは形は違うがローライのようなはめ込み式の専用の金具でストラップを吊るようになっており、純正品でないと吊れないのである。ただしこれもEPの金具(これは汎用ストラップで可)とは取り付けネジの位置、大きさが同じで完全に互換する。そこで親戚に頼んでEPのものを見本にしてステンレスで作って貰った。専用の物はバヨネット式なので製作は簡単でないが、撮影するにはEPのスリット式で充分である。基本的には3は最終モデル(1965)と言って良く、細かな改良がなされている。例をあげると120-220両方に対応しており、フィルム圧板やフィルムの巻き上げクランクの形状、レンズの性能も改善されている。操作感はほとんど古いモデルと変わらないがそこがマイナーチェンジだとも云えるし、ある意味で完成度が高く、ファンも多く再生産の運びともなったのであろう。以前にも書いたとおり私は操作性の良さと言う点ではオートコードは最良の二眼レフと思っている。まず巻き上げのクランクがボディの上に止まっており、そこを基点に前の下へ押し下げるように巻き上げ止まった位置から逆転させてシャッターセットをし、元の場所に戻す。この一連の作業が大変扱い易いのである。その他のオートマットの機械はローライフレックスを真似た設定で普通はクランクはたたんでボディ下方にあり、まず上方にクランクをあげ、それから同じように前下方へ回してのち逆転させ、またクランクを折り返してボディ下方へたたむという行程である。つまりクランクを「たたむ、のばす」という作業が多いのである。手間の問題だけではなく、クランクを動かすというのは大きな動きで困難な状況下では小さな動きで作業できるのは本当に助かるのである。風雪にさらされ、岩場や森林の中などのフィールドで写真を撮るには小さな差も大きな差となることもあるのだ。次に今も感材の改良によって良くはなってきているがブローニーフィルムの場合の平面性への対処である。いくらレンズの性能が良くてもこれが悪いとピントは正しく結ばない。絞り込めば大抵解決するが深度が浅くなると平面の物を撮っているのにピントが凸凹にあうことが結構あった。他社がやはりローライを真似てフィルムが下から上へ送られ、結果として90度曲げられてから画面に入りここで撮影、そして上に巻き取られて行く。この場合連続して撮影するときは問題ないが途中で止まってしばらく放置すると折れ曲がり癖がついて、次に画面に入ったときカールされた状態で露光される事となる。これは圧板の精度とは別に大問題である。この点オートコードは逆に上から下に巻き上がり、平面のまま画面に到達し、90度曲がって巻き取られていく。露光後はカールが出ても当然問題はない。これは二眼レフの内部を見ればすぐに分かるが、上にミラーボックスがありスペースがないために下が広いL型のフィルムスペースとなるからである。それにしてもローライはなぜこの点を改良しなかったのだろう?私の考える他のオートコードの先進性は、ある程度好みや使用法のバリエーションの中で吸収できることかも知れないが、当時はもっとフィルムの性質が悪く問題としてあったし、ローライの場合f2.8のレンズまで装着していたのだからこの点で無視は他メーカーよりも出来なかったと思われるのだが...。次にバックドアが下をヒンジとして上から開ける事があげられる。ローライやそれを真似た他メーカーはすべて上をヒンジとして下から開ける。ある意味ではフィルム装填の方向が逆なので、このようにならないとし難い面があるので当たり前とも云えるが、本当は別の効用がある。ローライは三脚に付けると雲台に邪魔されバックドアが開かず、フィルム交換はその都度三脚から外してのみ行える。オートコードはこの点下がヒンジなので決してやり易いとは云えないがバックドアを三脚に固定したままボディを前に倒すように開けてフィルム交換ができる。大量に撮影するときは便利である。単に手間が減るだけではない。三脚で角度や水平垂直を決めたまま撮影ができることも失敗を未然に防げるのである。たんびにセッティングを決め直すことは水平が狂ったりするリスクをいつも負うことになる。上にも書いたような悪状況での撮影が多い私としては大切(手がかじかみ、疲労し頭が朦朧としてくると失敗が増える)なことである。前回にも書いたが、フィールドワーク用のカメラの三原則は 1.軽くコンパクト 2.操作性の良さ 3.レンズの基本性能の良さの三つである。この内の2がたいへん良いのである。本家のローライを凌ぐ部分とは端的に言ってこの事である。更にもう一つ、私にとっては最大の美点としてピントの調節の方法がある。やはりこれも他メーカーはローライフレックス(コードの時代は右手で操作の多くができたのだが…)を規としてボディ左手のピントノブを回す事でおこなう方法が一般的であるが、オートコードはボディ下部のピントレバーを左右に動かすことにより焦点調節をする(この方式も他メーカーでも試みられたが、全体としての完成度が低く早いうちに消滅した)。まず合わせるという行為そのものもライカのピントレバーと同じように迅速で無駄のないやり方で(ライカと対で使うときはなおさら違和感がない)、文章で書くと分かりにくいが、例を挙げるとフィルムの巻き上げをバルナックライカ等の昔のカメラのようにノブをぐるぐる回してするよりも今のカメラのようにレバーで直線的に巻き上げる方法の方がよほど合理的であることは理解できるだろう。勿論、細かな調節という点ではノブ式も悪くはないが、ここではフィールド写真を前提としているので素早さを優先させ、微妙な調整は訓練をすることを求める。更にオートコードのレバー式は微妙な調整も問題はない事も言っておく。もう一つピント調整の方法により、カメラ全体の操作性に影響が出ることもある。中判カメラを野外で手持ち撮影をするときには時に問題が出るのである。まずローライの撮影手順を述べよう。1.右手でカメラを下から保持し(手のひらに乗せ下からボディを掴む形)左手でピントフードを開ける。同時にルーペを立てる。2.左手でピントノブを回し焦点を合わせる。3.カメラの保持を左手に持ち替え、右手でシャッターボタンを押しレリーズする。4.右手でクランクを回しフィルムを巻き上げる。5.また右手保持に持ち替えて2に戻る。対してオートコードでは1.左手でカメラを下から保持し、右手でピントフードを開け、ルーペを立てる。2.空いている右手でピントレバーを動かし(またはライカ式に保持した左手の人差し指でレバーを動かす)合焦後右手人差し指でレリーズする。3.その右手ですぐにクランクを回してフィルムを巻き上げる。4.そのままの体勢でピントを合わせる。お分かりであろう。つまりローライフレックス型だと常にカメラ保持とピント合わせシャッターレリーズ、フィルム巻き上げの一連動作で右手左手の持ち替えが前提となっているのである。これは迅速な撮影にとつては大きな差と言える。スピードの差は勿論、持ち替えによって不用意にダイアルが動いたり、手が滑ったり持ち方がずれたりして、カメラの保持に破綻が起こり、結果としてピントがずれたり、画面が傾いたり、果てはシャッタータイミングをずらしたりする事も起こりうる。つまり撮影上のリスクが大きくなると云うことである。ここら辺のことはローライも了解していたと見えて、ローライT(ベビーローライ44も)はピントノブはそのままだが、ボディを保持したまま右手でレリーズ出来るようにシャッターボタンの取り付け角度を変更し操作性を高めている。しかしフィルム巻き上げ時はやはり左手でカメラを保持し右手で巻き上げることは同じで、持ち替えのタイミングが変わるだけで連続の撮影はオートコードにかなわない。35mm判カメラだとあまり感じないが中判になるとカメラが大きくなり、しかもゴロリとした形にどうしてもなるためこのような事が起こるのである。逆にいかに今の35mm判カメラが完成された操作性を持っているかもよく分かるだろう。最近の中判カメラは外見はあまりそうは感じないが、操作してみると35mm一眼レフやレンジファィンダーカメラに似ていることがよく分かる。話はそれるがその意味ではペンタックス67は先見性があったと云えよう。

ただし操作性の点でのローライの弁護もしておこう。先のT型はライトバリュー式の露出調整方式を持っており、一つのレバーで押し込んだ状態でライトバリュー式の調節、引っ張った状態でシャッターと絞りの組み合わせの変更がワンタッチで行える。これは左手で出来るのでピント調整と露出調整を時間差少なく確実に行える点で優れている。残念ながらオートコードは旧式の左右にレバーが出ており、左が絞り、右がシャッターと露出の調整は狭いスペースで左右からゴチャゴチャとせねばならなく誠にあか抜けない。この点は古いローライを真似たシステムのままである。更にもう一つはフィルム装填時、オートコードはいわゆるスタートマーク方式で1枚目の位置決めをしているのに対し、ローライでは古い物やTやコードを除きフィルムガイドの或るバーを潜らせてスプールに差し込み、いきなり蓋を閉めて巻くと120フィルムの紙からフィルムの部分に移行する僅かな厚みを検出し1枚目の位置決めをする便利なシステムを採用している。薄暗がりの中でのフィルム装填には大変役に立つものである。浅学ながら現代のカメラまでこの機械的なオートマチックを知らない。最終型のGX2.8はTTL測光になったし、ローライも時代と共に改良はしてきた。オートコードももう少し二眼レフが延命していたら更に素晴らしいカメラになったことは想像に難くない。惜しいことである。製造中止後プロやマニアから再生産の要望が強く上がったのも理解できる。ローライもその後生産を止めたり始めたりして、ついに1999年最後の2.8GXを限定生産してその命脈はつきたようである(2001年、FXが生産され、その後ワイドも発売されている)。

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さて、操作性の事はこのあたりにして、描写性能に移る。やはり古い3群4枚構成のテッサータイプの描写に多くを期待してはいけない。私のEPに付いている物と比べると格段に良いが、絞りが開いていると周辺、特に無限遠に甘さがあり、中央部は実用の範囲にかろうじて入っているがコントラストはやや低くハイライトに滲みが出る。絞るにつれ周辺まで良像部分は増え平均化するが中央部のシャープさは増さず眠い描写のままである。解像力はそこそこあるのだがコントラストが低いことが原因だろう。テッサーの75mmも同じような傾向だが、ややコントラストが高く見かけ上シャープに見える。ただしオートコード3のロッコール75mmは条件が良ければ(晴天で、しかし対象物があまり輝度の差が大きくない被写体をf8以上に絞ってなら=つまりコントラストが出る光線の状態でハイライトの滲みの出にくい条件。案外ストロボなどは適している=矛盾した書き方だが)軟らかさの中に線の細かさが出て味のある描写となる。ライツのビゾ用レンズのエルマー65mm(これもテッサータイプ)とよく似た描写と特性(ただし最良の絞り値は全く違うが)にも同じような話が当てはまる。この結論はとても大事な話である。今は理解しにくくともよく覚えておく事が肝要。フィルム何本もテストしてようやく得た結論である。言葉で書くと簡単だが実写ではなかなか難しい。操作性の良さをなんとか利用したいという執念の結果である。色彩の再現は古い割には良好で癖は少ない。本家ローライテッサーよりあっさりとした色で、コントラストの低さをカバーするためにやや浅めの露光が望ましい。よりサラッとした色味となり上記の絞り値や光の条件を満たしたとき、軽い風のようなものを感じる絵となる。ローライのテッサーは大筋では似た描写ながら光の滲みは感じられず、線の太い重い描写となる。周辺光量がほんの少し落ちる。そして色彩の再現も異なり、やや色が濃く湿度を感じる表現となる。特に青系の発色が強い。全体が青っぽいと言うのではなく青の明度が下がりやすく、結果として青色が濃くなるのであろう(ちなみにブローニー版のテストフィルムはどちらもEPPである)。やはり現代のカールツァイスを多少は感じ興味深い。ただこれもピントのシャープさが来そうで来ないもどかしさを感じる。確実なのは近距離の(接写ではない=2-5m)描写が良く、ダイアン・アーバスアービング・ペンの人物写真に実力を発揮したことには納得できる。写真のとおり少しテッサーが大きく特にピントフードには差がある。見た目はそっくりに見えるが他の国産マシンに比べると機構的には大きく異なり独自性を感じる。仕上げとデザインの粋はローライに遠く及ばないが一度は使ってみる価値のあるモデルと云えよう。私もいつか登場させる「 ローライフレックス3.5Fプラナー」と共に中判の主力機種として永く使っていきたいと考えている。

f:id:xnagy:20190316190830j:plain ローライT初期型=グレイモデルは初期型のみである。



 

二眼レフ

三つの中判カメラの条件=1.操作性が良く、迅速・確実に取り扱える 2.35mm判のレンズに近い描写性能 3.小型・軽量しかし堅牢。

偶然に理想の中判を求める気持ちが頭をもたげる機会が訪れた。友人がローライフレックス2.8Fプラナーを購入したのである。その機械としての完成度と美しさには惹かれた。しかるのち同じローライ2.8Fクセノタールを入手し撮影を開始する。先ほど述べたフィールドカメラの三つの条件をかろうじてではあるが満たしており、どうした訳かレンズ交換ができない事も6X6判の場合はさほど気にならないため障害とはならなかった。縦横がないのがやはり使い易さの原因だろう。そしてブロニカやハッセルのような構えたとき前へ出る形ではなく、二眼レフは体に密着し(コーワ6も同じ)、カメラとの一体感が良いと感じられる。これはミラーショックの無さと相まってライカと同じくアベイラブルライト(限界微光量)下での撮影に向いており、また撮影の瞬間も被写体が消えず写った瞬間が見える点もライカと同じで、手持ち撮影のフィールドワークには最適である事に気が付いた。つまり整理すると、1.比較的軽くコンパクト 2.操作が簡単 3.スローシャッターが切れる 4.縦横がない 5.丈夫...これは複雑な内部構造を知った今、少しの不安を持っている 6.ライカとの併用に向いている 7.少し外れるが素晴らしい仕上げで、持つ喜びが感じられる等あらゆる点で私の撮影目的にかなったカメラである事が分かった。どうして各メーカーは戦後ブームとなった二眼レフの生産を止めたのだろう?いやメーカーはユーザーの要求を受けて開発するのだから、どうして写真家は求めなくなったのだろう。以前の二眼レフの欠点は今の技術をもってすれば更に完成度の高いものが期待できるはずである。私もそれまでは過去(戦後すぐの大流行)のカメラで時代遅れと思い、候補として考えもしなかったのだが…。ローライ2.8Fはかなり撮影し、ただ一点を除いて大満足であった。しかし、その一点が最後に越えなければならない、そして今も解決されない大問題(なにせ新製品はなく中古の中から選択せねばならない...これは2001/3にローライ/駒村商会からFXとワイド、テレの3種の新製品が出ることになった)である。クセノタール80mmの描写に癖があり、確実に思い通りの結果が出ないのである。開放付近では像の緩みがあり中心部以外は甘く、絞るにしたがつて周辺部まで均一になるのだが、中央部のシャープさはほとんど増さず、さらにf8以上になると四隅に放射方向の流れが目立ってくる。コントラストがやや低く、よく云えば軟らかい描写と言えるのだが、実際の解像力より低く見えてしまう。おそらく残存収差がかなりあり、それにフィルムの平面性の保持にも問題があるのではないかと思う・・・ただしローライの名誉にかけて付け加えるが、ここで言う問題点は厳密な意味であって一般的に見て使い物にならないのではない事は当然である。

ともかく惜しい。そこで色々な二眼レフの探索が始まる。

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まずマミヤのレンズ交換式の物を除き一番最後まで生産していた「新しい」ヤシカマット124Gの新品同様の物を購入した。これは露出計内蔵で80mmf3.5のテッサー型レンズが付いており、操作性はローライコピー機二眼レフはほとんどが多かれ少なかれローライの影響を強く受けたコピー機と言えよう)らしく、作りや動きが少々安っぽいだけで使いやすく良好。描写は癖もなく悪くないがプロニカほどの性能ではなく(絞らないとダメ)、ピント板のフレネルレンズの作りが不良で極めてピント合わせがしにくい。また精度の不足からかピントリングの無限遠が合わず、無限遠に合わせるとピント板上は通り過ぎてしまう。ただしピント板であわせると実写と合っているので救われた。撮影レンズと見ているレンズが違うので当たり前と云えるが、レンジファインダー機と同様、二眼レフでは撮影レンズとビューレンズのピントの位置がずれる事が結構多く、この後友人がアメリカで買って来てくれたミノルタオートコードの輸出モデルは124Gと逆にピント板上は合っているのにフィルム面では大きくずれていた事もあった。そのような理由でだろうが上下のレンズは比較的簡単に出したり引っ込めたりの調整ができるようになっていて、このオートコードも調整でなんとか使用可能となった。

ゼンザブロニカSQ-A

次にコーワからブロニカSQ-Aと50mm、80mm、150mmのセットになった(+中間リング、ポラパック、6X6マガジン2個、35mm判マガジン1個)。ブロニカがレンズシャッターになったこととハッセルとほぼ同じ大きさになり携帯が楽になったこと、なによりコーワが生産を止めたため部品やメンテナンスに不安が生じ始めていたことが理由である。ただし写りはなにほども変化はなかった。強いて云えば、くわしくは今解説しないが望遠はブロニカ、標準は同等、広角はコーワが良かった。しかしSQ-Aも2-3年たまに使った程度で、売りこそしなかったがお蔵入りとなった。今度の理由はかなり明確で本質的な問題をはらんでいることである。第1にカラーリバーサルしか撮らなくなったので操作や機構の複雑なマガジン交換式は不必要になったこと。第2にレンズの性能を厳しくチェックすると35mm判に比べ、フォーマットの大型化における画像の高密度化の効果はあっても、スライドを同じルーペで(ちなみにルーペ自身の性能に問題を感じ、\23000もするニコンのX8のアクロマートルーペに替えた)つまり同じ倍率で見ると(35mmの全体と6X6の中央部を見ることとなる)35mmに比べると中判のレンズはコントラストは同じぐらいとしても解像力は結構落ちることが判明した。これはハッセルのツァイスレンズも程度の差こそあれ例外ではない。周辺部にいたってはある程度絞らなければ格段に像が落ちる。極度に発達した35mm判のレンズの優秀さは特筆できる。大昔ミノルタのMCレンズと中判用のレンズを比べた時はこんなに差はなく、中判更に大判の効果の絶大さを思い知らされた記憶があるのだが…。第3にフィールド写真しか撮らなくなったので、とにかく小型で軽量、操作性の良さが中判カメラに求める第一の条件になったことである。かくしてこの辺から理想の中判をもとめた流転の時代が始まる。

f:id:xnagy:20190314182801j:plain 標準レンズ付き…標準レンズはどこのメーカーのどの製品でも同じような優れた性能を持っている。このカメラのセットは今も新品同様、保管庫に当時のまま眠っている。最後に使ってから30年以上経っているかもしれない。

f:id:xnagy:20190314182825j:plain 50mmレンズはF8以上に絞れば、それなりの画質となり問題はないのだが(ワイドは深度が深くなり、より絞り効果大となる)絞りを開けたときが芳しくないのである。

BRONICA/SQ−A

 

流転の中判カメラ2

その後、マミヤプレス6X9を経て、1976年、今はなき「コーワ スーパー66」に買い換えた。これは新品で55mm.85mm.150mm付で購入(この組み合わせ+アクセサリーでハッセルブラッド500CMなら当時150万円ぐらいしていた)。フィルムマガジン交換式で、このカメラの最終型である。当時国産の中判の一眼レフカメラハッセルブラッドを目標として開発をしていたが、本質的にプロまたはマニア用なので採算ベースに乗りにくいらしく選択肢も少なかった。コーワになったのは唐突な結論のようだがこれには理由がある。勿論、ハッセルは買えないので、国産の新品で考えた。レンズ交換式でマガジンも交換できる物となると当時「ブロニカ6X6」と「コーワ6」「マミヤRB67」しかなく、外回りの写真を多く撮る私としてはマミヤRB67は重く取り扱いも煩雑すぎて不可。ブロニカはECの時代で(今S2を持っているが)フォーカルプレンシャツターとクイックリターンミラーの強烈なショックとストロボに全速同調しないことで不可。引き算式にコーワとなった次第である。しかし使ってみるとあらゆる可動部がごりごりとぎこちなく、音もやたらと大きなこと以外はかなり良好で、何と言ってもハッセルに似ていないデザイン(カメラ毎日に「壷のような・・・」と評してあった)や、引き蓋のないマガジン(遮光板がマガジン側に付いており引き蓋は不要)などに独自性を感じ、ハッセルとは違うのだ!と言う意識で使え、我慢カメラではない事がなにより気に入った。数年後、コーワがカメラ事業から撤退し、部品供給やメンテナンスもままなくなることが予想され、やむなく手放した事を後悔していた。 ところが5年ほど前に何と!スーパー66のデッドストック品がある店で見つかり即座に購入…新品である=筆者も実地では使っていない=クランクに保護用のシールが貼ってあり、これが日本語なので輸出向け製品の里帰りではない。どこかのカメラ店の倉庫に眠っていたのだろう。元箱はもちろん純正フードや専用金具付きのネックストラップも新品のまま付いていた(この金具付きでないと吊れない=簡単だが極めて重要な部品)。テストだけはして完動品なのも分かっている。

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現在はオリジナル・コーワ6とミラーアップができる6MM、スーパー66を所有している…懐かしいコマーシャルカメラマン時代の機材である。

興和のカメラ

 

流転の中判カメラ1

*依然として多忙につき…過去に書いたフィルム時代の懐かしいカメラの記事を貼り直した。

今はほとんど過去の遺物に近い状態となってしまった二眼レフの世界をのぞいてみよう。個々のカメラの詳細な評論は別稿にゆずるが、私の撮影の目的に合ったベストな中判カメラの遍歴を序としたい。私は撮影の性質からほとんど35mm判で充分なのだが、印刷効果を考えて中判カメラにも興味をもって長い間色々と試してきた。最初は学生の時(1971)父親が若い頃使っていたリコーフレックス二眼レフがガラクタ入れに転がっていたのを引っぱり出して使ってみた。撮影レンズとビューレンズがギアで直接連結されており両方が回転しながらピントを合わすものである。一応フード、フィルター、革ケースも残っており、写真の勉強を始めた頃一度だけ京都の嵯峨野へ撮影に持って行った記憶がある。ピント板が単なる磨りガラスだったので焦点調節がしにくかったが、レンズやシャッターに問題はなく、モノクロのみの撮影だが結構きれいに写った。

 しかし事件が起こった。何ヶ月かの後またこれを持って撮影に出かけようとすると無いのである。なんと!粗大ゴミの日に母親が出してしまったのである。当時使っていた真新しいミノルタの一眼レフなら当然そんなことはしないのだが、私が物置の隅から出してきた古いカメラは(特に腐りかけたような革ケースに入った)母にはゴミに見えたようである(その母も今は90歳)。せっかくそれまで30年近く残っていた物が私が使うために引っ張り出したせいで一巻の終わりである。当時は腹を立てたものだが、今思うと懐かしい思い出である。このカメラで撮られた幼年期のボクはたくさん写真に残っているのだから…

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記憶ではこのタイプ…現物がないのでネットサイトから借用した。