矢印の家並みが今回撮影した場所だ。この頃は人が住んでいた=対岸から2000年にTX-1でパノラマ撮影、手前の土手状の場所が貨物線跡、ここから対岸に橋を架け直すことになっている(以前は船を通すための可動鉄橋、今回は低い道路橋)。現在は両岸共に橋の基礎工事は済んでいる。鉄橋は廃線になった後も1980年代まで残っていた(この写真も持っている=いずれ掲出する)。
「立入禁止」廃屋の裏の水産会社の土地はすでに整地され、橋とそれに連なる道路ができれば早速使えるように準備がなされている...廃屋の切れたところが道路になる。
途切れた場所(左が橋)…このように横から見ると基礎はなく、掘っ建て小屋を住居のように使っていたことが分かる。ここは痛み具合からみて、だいぶ以前に放棄されたものだろう。私の観察によると最後まで住民が残っていたのは2-3軒である(実際、舞鶴には30年以上通っている)。