集落へ

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神社の階段を下りるとすぐに集落の路地になる。この島には自動車は1台もなく、スクーターぐらいなら何とか走れるだろうが、それも見たことがないし、地元の人への聞き取りでも無いそうだ。もっぱら徒歩、そして荷物のある時は自転車(独特の三輪自転車で畑へ行く)での移動である。

路地を入るとすぐにウミに抜ける。浜の道は本当の道ではなく護岸上の舗装で、ここに水道や下水管が埋設されている。人口が減ったとは言え生活感はまだまだ残っている。このあたりは島の中心近いため、人が住んでいるが、浜沿いの集落の遠い方(特に北側)から廃屋が目立つようになる。洗濯物と名物:三輪自転車=ちょっとした農具を積んで島の西岸(元の石切場跡地)の畑に通い、収穫した自家用の野菜などを積んで帰るのである。そして家の周りのほんの少しの平地も耕して花や野菜、果物を作っている。

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奥津島神社:奥の院

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更に境内の山を登ると奥の院(神社なので奥宮と言うべきか?)がある。山の神が祀られている。しかし湿度が高いためかお宮の建材が腐ってきていて、つっかい棒でなんとか建っている。

ここも崖崩れ防止の工事と一緒に土地の改良工事もしている…以前よりその分広くなった。バラスを撒いて平地を造っただけではなく、崖側から何本も崩落防止の杭を打ち込み、コンクリート板で法面を覆っている…これが倒れると下まで転げ落ちて浜の家々に甚大な被害が出るのである。昨今の豪雨や台風の被害はこんなところにも及んでいる。

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奥津島神社

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沖島で唯一の高台に建っている奥津島神社に急階段を登って上がる。狭い島のこと、それほど境内は広くはないが、式内社奥の院まである由緒ある神社である。現在は無住で、神事がある際には近江八幡から神職が訪れ、島に二軒ある寺の住職も手伝って神事をとりおこなう。

境内の端から集落を眺める…汀沿いに二列に建っているのが旧集落、大きな建物(漁具倉庫・加工場や漁協など)が建っている場所は埋め立て地で、以前はウミ(土地の人は琵琶湖をウミと呼びならわす)であった。このように埋め立て地を除いては山がウミに迫り、僅かな汀の平地に家々を建ててきた。古くは(1970年頃まで)石材の島で、船で石を大津や長浜に運んだ。もちろん当時も漁業は盛んで、石材が枯渇したあとは漁業専門、そして現在は船で10分以内で着く堀切港から近在の会社へ仕事に行くことも可能な便利さである。ただし若い人は次第に都会へ出ていって、ここでも高齢化は進んでいる。

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沖島郵便局

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連絡船船着き場前に漁協の建物があり、事務所と湖魚の加工場がある。ここで婦人部の人達が屋台を出して来島者を迎える…年々観光客も増えてはいるが、店がないため本土で食事を済ませてくるか、弁当持参で来るかしないといけない=屋台(時に弁当も作る)に大きな期待はできない。ただし湖魚の佃煮などの土産は純良で値段も安い。飲み物は自販機が2-3台あるため大丈夫であろう。比較的最近に開店した民家改造のカフェが二軒あるが不定休で観光シーズンの土日だけと考えていいし(開店してから何回も訪れている筆者でも1回しか開いていなかった。それもTV番組がロケで予約していたから開いていただけである)、開いていたとしても食事は難しい。弁当の注意点…ゴミは持ち帰る必要があるため考慮して選ぼう。

集落の奥へ入る…入ると言っても家並みは二列、浜側と山側にあり、その真ん中をこのような狭い道が通っているだけだ。山側の裏はすぐに断崖の山があり、浜側は先に見たとおりすぐに湖となっている。ここは島唯一の金融機関:沖島郵便局である。局員も常駐しているしATMも勿論ある。いくら民営化しても赤字が出ても、離島の郵便局は簡単には閉められない。なくなると各種の支払や年金の受け取りもままならなくなる。

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沖島:消防艇

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沖島はほとんどの家や学校などが水際の僅かな平地に建っているので、立派な消防艇があり、火事の際は湖側から淡水である湖水をかけて消火する。この船は水難事故の際も出動するのを10年前に目撃している。TVクルーもまず連絡船から撮影した。

そして陸の消防団の手押しポンプ…あるにはあるがボヤ程度の消火しか対処はできない。もし大型のものを導入しても道幅がないため家並みに入れないのである。

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琵琶湖:沖島へ

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日本唯一の湖に浮かぶ島で人が定住(現在、人口2百数十名程度)している島である。年に2-3回、定期連絡船「沖島通船」就航(2000年)の時から来つづけている。連絡船は当初島民の本土への足として始まったが、離島振興法の適応を受けて観光にも力を入れ始めて、船も多くの人が乗っている(なんと連絡船には珍しく黒字である)。ただ乗り手も高齢化し、若手の後継者が育っていないこともあって、残念なことにこのところ二度ばかり事故が起こっている。ともあれ、沖島はしばしばTVにもとりあげられ、この日も地元の地方局の取材と一緒になった。

島のまわりは淡水なので水際まで植物が育ち、サクラの季節や新緑の頃はとても美しい(自然林と家の前の植裁=植林はなされていない)。嵐はめったに来ないため防波堤もないに等しく、家々は汀すぐに建っている。また紅葉の秋には行こうと思う次第である。

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新センサーのLeica M9RICOH GR28mmF2.8L...交換して新しくなったが(筆者のM9に異常はなかったが、Leicaいわく必ずセンサー・フィルターは劣化するとのことで交換した)旧コダックCCDセンサーに比べると色味に難がある=青味が強くなったことと色のコクのようなものが減った…解像度が落ちた訳ではないので、今後はRAWで撮って画像加工をしながら現像するしかないだろう。

 

江ノ電:長谷駅

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さて鎌倉をあとに帰宅する...来たときと同様江ノ電に鎌倉まで乗る。観光客はやや早めに帰るため大きな混雑はない(来たときは大混雑)。

さて電車が入ってきた。いままで江ノ島に二度行っているのだが、江ノ電は混むのと遅いため、小田急片瀬江ノ島駅へ行くか、湘南モノレール江の島駅から歩いていた…江ノ電もいいものだ。東京でもしばしば都電荒川線に乗っている。これで鎌倉:長谷寺の旅はお終い。

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Leica Q

 

鎌倉:長谷寺 夕刻

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弁天窟の前の大黒天堂「さわり大黒天」…触ってもよいのだが、少し怖いめの顔である。そのためか、あるいは新しいのか、あまり撫でられていない。密教系の寺の面目躍如のように思った。

そして弁天窟横の弁天池…航海神の一面を持つ弁財天には池がつきものである。そろそろ夕刻となったので、すぐ背後の門から出るとすぐに土産物屋街がまっている。

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Leica Q、夕方の半逆光=フードをしていてもこの程度のゴーストが出る…最新の国産レンズの方がこの点は優秀だ。ただし筆者としては逆光時にある程度のフレア・ゴーストが出る方がリアリティがあるように思っている。

 

鎌倉:長谷寺ふたたび 

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山を下りて境内最下層の広場にある弁天窟へ入る(とにかく初めてなのでどこへでも入る)。背後は大黒天堂だ。

中はかなり暗いが、目が慣れてくるとボンヤリとした光があり、だいたいの物は見える。洞窟内は広くはないが、ところせましと弁財天を中心とした仏像が並んでいる。人間の目よりカメラの方が暗いところでもよく見えるようになってきたのである。高感度耐性が高まり、手振れ補正機構が働き、そしてLeica Qの絞り開放がF1.7なのである。

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 鎌倉 長谷寺 観音ミュージアム

bauhaus 100th

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先日のLeica CL bauhaus 100thモデル(099/150=日本には5台しか入っていない)に次いで、Max Billのbauhaus 100thモデル(0338/1000)を入手した。趣味の問題ではなく、二十歳の頃、初めて読んだ美術専門書「ザ・ニュービジョン」ラズロ・モホイ=ナジ著、以来バウハウスの理論や実践で今日まで来たのである。今を祝うしかないと考えた次第である。もちろんシュプレマティズムや構成主義シュールレアリズムなどの影響も当然に受けているが、コアになっているのはいつも現実的なbauhaus(細かく書くのは難しいが、つまりファインアートではない芸術)である。bauhausの後継(ナチスの圧迫で学校ごとアメリカに亡命した)であるイリノイ工科大学にも若き日に訪問した…末期にさしかかる筆者の創造人生を考えて、bauhaus 100thは感慨深いものがある。

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バウハウス