Canon 5D-IV Canon EF24-105mmF3.5-5.6 2

 

EF24-105mm F3.5-5.6 IS STM

先日に続いて、今度は天候の良い時に再度撮影してみた(F5.6/AWB)。ボディのセッティングも変えてみたが、より上級のCanon EF24-105mmF4Lや単焦点Canon EF24mmF2.8 ISと比べてみても負けない画像となった。こうなると軽さと言う点でフィールドではこちらの方が良いとなる…単焦点2本(24mm+100mm)も魅力がある。

この画像でも大きな不満は見られない。Nikon D系に比べると評価測光は暗部に引っぱられ、やや明るく写る…これは高輝度の階調重視の設定にしているため問題はない。

切り出し画像=ボディ側のセンサーやエンジンの改良も関係しているが、立体感や合焦部とアウトフォーカス部の移行部も良好である。6D-IIと共にCanonルフレーム一眼レフの最後の華であろう。「出し惜しみのCanon」と言われ続けたが、これからはミラーレスを主戦場として戦うのだろう。もう筆者は付いていかないが、これからの一眼レフファンのために願わくば5D-Vも期待したい。





 

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺庭園 ― 国宝・特別名勝

今日は新緑を求めて近在の浄瑠璃寺を訪れた(今年3回目)。花の季節は終わりに近く、予想通り寺域は緑に輝いていた。

国宝:三重塔…新緑に囲まれて建っている。しかし本当の色は出ていない=AWBが黄緑の空気をかえって押さえてしまうようだ。入山料は要らないため、この境内とそれとなく造られた庭園(藤原時代に始まると書いてあった)は私にとっては春夏秋冬の良い散歩道となっている。

シオン系統の野草、これなども自然のままを残した庭園の一部をなしている。飛んできた種から発芽した植物も刈らずに残す…もちろん庭師が入って適当に手入れはしている。そうしないとたちまち山野草に埋もれてしまうことだろう。しかし池の周りの小径を歩けば自然の山野を歩いている風情を感じることができる。今はモチツツジがそここに咲いていた。

今日はCanon 6D-II+Canon EF24-105mmF4Lである。やはり重い…これなら単焦点のワイド24mmと中望遠レンズ100mmを1本持つ方が良いかも知れない。このレンズも2005年にリリースされたデジタルカメラ用としては早期のレンズとなった(ただしまだカタログにはある)。CanonのLレンズは画質のことだけではなく(画質は非Lとさして変わらないように思う)、フィルム時代から頑丈そのものである(したがって沈胴スタイルはとらない)。FDレンズ時代からLレンズを主に使ってきたのもそういう理由である。

EF24-105mm F4L IS USM

 

Canon EF24mmF2.8 IS + Canon 5D-IV

EF24mm F2.8 IS USM

今日は、つい最近製造中止となったCanon EF24mmF2.8 ISをCanon 5D-IVに取り付けての雨中の撮影である。型落ち在庫品アウトレットで定価の40%で購入。それまではフィルム時代のCanon EF24mm/F2.8(1988年発売)で撮っていた(大きな問題はなかった)。 EF24mm F2.8

今回はボディの設定を色々触っている=詳細は書かない(まだ完了とまで行かないため)が少しずつ良くなっている。雨だがそれなりにバランスが取れたAWB/コントラストである。

切り出すと、残念ながらこのサイズでは分からないが質感描写は非常によい。単焦点とズームの差は、晴れて条件が良いと逆に分かりにくいだろう。



 

Canon 5D-IV

Canon 6D-IIに次いで(結果が良かった)「最後の一眼レフ」である、Canon 5D-IVを導入…最後までNikon D780と迷った。いずれも過去のFF一眼レフデジタルカメラの成果を集大成させたカメラであり、もうその後がないために迷ったのである(2台ともと言う人もいるが、「最後」と言うからには絞らなければならない)。ともあれ第一報を書くことにした。印象はCanon 6D-IIの時と同様、ひとつ前の機種Canon 5D-IIIに比して少しコストダウンしたかな?という触感である。もちろんセンサーやエンジンは改良され写りは良くなっただろうが、持って試写した感覚がそうなのである。レンズはたまたま保管庫の前側にあったCanon EF24-105mmF3.5-5.6だ。

夕刻、例によって玄関前を近接撮影(F5.6)…陰ってしまっているのでよく分からないが、Canon 6D-IIより少し上等な解像である=約3000万画素、これぐらいが限界だろう。値落ちしたCanon 5Dsでもとも思ったが一世代前だし、印刷を前提とした場合5000万画素はまったく不要で(ぶれるし高感度が弱い)その考えはすぐにうち消した。

まだ日の当たる庭のナンテンの高木を撮る(F8)ぐっと精密となる。AWBも問題ない。

上の切り出し、レンズもLではないが問題はない。かなり良い描写であり、周辺までちゃんと画質を維持している。

 

玄関前での逆光撮影(F6.3)…太陽は右隅に入っている。レンズもボディもよく耐えている。画質はデフォルトだが6Dや5D-IIIより硬い描写だと感じる。

また切り出し…逆光の影の部分としてはそうとう硬質な絵造りになっている。これを頭に入れて今後セットアップしていこう。サイレントシャッター(静音モード)がCanon 6Dなどより賑やかになったような気がする。筆者は民俗写真家なので、現場で撮影するときは、一眼レフでは連写の必要な時以外は静音モードで撮ることになっている(Nikonの場合は恥ずかしながら最近発見したQモード)。

global.canon







 

堀切港

長命寺を下って沖島への連絡船の港、堀切港へ向かう。向こうが沖島…小さな島と右の大きな島がくっついた「ひょうたん島」で、途切れているように見える僅かな平地に民家が固まっている。島民は連絡船か自家用船でここまでやって来て、港の専用駐車場に停めている車で通勤や買い物に出かけるのである。したがってバスが1日数本でもそれほど困らない。

港の隅に古い連絡船の案内板が落ちていた。船のダイアはたまに変更となり、それが告知されないケースも多い(ここだけに限らない)。それは連絡船のありようが、島民の交通手段と考えられていて、外来者の至便は第二義的な問題だからである。

連絡船待合室、先にも書いたようにトイレはない(近辺にもない)。おりしも市長選の候補者の支援者が10名ばかり船を待っていた。どうしたものか中年の女性がほとんどである。

連絡船乗り口。連絡船がやって来た。ここで乗客を乗り降りさせて、島へとんぼ返りする(あくまで母港は島側)。立て札には昨年秋のコロナ緊急事態宣言の時の外来者の訪島の自粛の案内が未だに貼られていた。船と言えど公共交通機関なのだから乗船拒否はできないはずだが、全国的にこのようなことを見てきた。つまり連絡船は島民のためにあって外来者のためではないと言う定義であろう。その一方で観光政策もある程度とっている。過疎の進む離島の葛藤だろう。もちろん否定も肯定もできない。

 

長命寺 2

本堂の裏山の巨石群、これがここが寺院になる前の聖地の山である。磐船が数多く並んでいて天から神々を乗せて降りてきた場所ということである。すぐ横にここの開祖とされる渡来系の聖人(官僚でもある)の武内宿禰の碑と足跡とされる石板がある。いずれにしても巨石信仰や仏法、天狗信仰などが集合した山域なのである。

武内宿禰

本堂へ…少し観光的なことも実施しているが、それほどの力は入っていない。観光客より参拝客(信徒)の方が多い。山の上であり、高速道路も鉄道も近くになく、この静けさが良い寺である。琵琶湖を眺めながら1時間ぐらい座っていても飽きが来ない。

この奥に秘仏:千手観音がおさまっている。この左に西国三十三所の札所があり、そこで朱印をいただく。

また境内の広場のベンチに座る(前掲のシダレ桜の下)。その横に時計が寄進されているが、どうやら故障しているようだ。その昔(戦前)腕時計は貴重品で普通の人は持っていなかった。そこで人の集まる場所に時計塔が設置されたものだった。この時計もそのような趣旨だったのだろう...もちろんこれは戦前ほどは古くない=10年ぐらい前には動いていたと記憶している。私の父が郷里の村の中心に時計塔を寄付したいと生前に言っていたのを思い出す。

 

長命寺

長命寺

長命寺に行くには湖畔からなら800余段、それも傾斜は急で石段そのものも凸凹である。行くだけで修行…密教の寺らしい立地である。もちろん現在は車道が近くまで入り、駐車場も完備されている。しかし最後の200段ぐらいは登らなければならないようになっている。道は本堂横までついているが「修行」なのである。歩くのに障害のある人は申し出れば通してくれる。そこに見えているのは山門で、そのかなり上に本堂がある。

本堂横まで辿りつく…その先に三重の塔(重文)が建っている=10年ばかり前に改修された。

本堂に着く…いつものことだが、へばってまず「たねや」の古い寄進のベンチに座る。この頃のたねやの方が良かった…今は少し厚化粧。

本堂回廊のたねやのベンチから下界を望む…下は庫裏、山門の横である。木の間越しに琵琶湖が見えている。そうとう高い場所に来た。Leicaらしい絵となっている。

 

また京都

きらびやかに新装なった西本願寺の内陣…写真撮影は禁止ではない。内陣には入れない。そして修行僧の怖わそうな眼が気になって近くからの撮影は遠慮した。

西本願寺をあとにする。太陽は入っていないが逆光ではハレる…とは言えこれも味のひとつとしておこう。実際に眩しかったのだから。

東本願寺に向かう道に立派な洋風の建造物があった…これも本願寺の伝道院で下記の通り…子細は分からねど調べてみる価値はある。明治の気風が伝わってくる。寺というと侘び寂びの世界に思われるが、そればかりではない。

bunka.nii.ac.jp

そうこうする間に東本願寺へ(徒歩15分程度か=我々は写真を撮りながらなので倍はかかる)。もう閉門間近だ。西本願寺よりひとまわり大きいように思った。

門を出て右を見ると京都タワーがそこに見えている。やはり徒歩15分程度か。夕暮れの道を歩くのも気分が好い。

京都タワー前交差点(向こうが京都駅)…ここで友人と待ち合わせのために20分程度立っていた。目の前に「国境なき医師団」の募金を実施していた…夕刻の雑踏の中、20分間でひとりも募金はなかった。






 

また沖島

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本土側連絡船待合所の裏に咲く桜、ヤマザクラソメイヨシノが入り交じっている。その昔、篤志家が琵琶湖岸を桜でぐるりと植林したものの残りの桜並木だろう。今も湖周道路の切れ目にとぎれとぎれに残っている。

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さて連絡船に乗船、たった10分以内で沖島へ着く。山にはヤマザクラが点々と咲き、雑木の新芽も芽吹いているこの時期がいちばん美しい。名物の消防艇庫が見え始めたら桟橋だ。

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もう選挙も終わったので掲載…同船した人達の中に、近江八幡市市長選挙の一隊がいた。真ん中の候補者(現職)と運動員10名程度…結局再選されたが、現職のひとりごと「大丈夫、当選当選」には多少の不安も読みとれた。有権者二百数十名の島にもちゃんとやって来るのである。1時間半ばかり滞在ののち本土へ帰っていった。

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いきなりこの島の北西岸の桜銀座とでも呼べそうな湖岸の小径へ…3年前の台風被害を乗り越えて、ようやく元気を取り戻したようだ。古木も多いため幼木の植林も始まっている。満開を狙うのが難しく幸運な1日だ。

Nikon D810 + NIKKOR 24-120mmF4G-VR

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RF機が使いにくいとなると、とりあえず一眼レフへシフトの第2弾…かねてより懸案の2014年製Nikon D810を導入(+NIKKOR 24-120mmF4G)。キットズーム付きなので長く売れなかったのだろうが、4400カットしか撮っていない(そして安価、デジタルカメラは少し古いと劇的に価格ダウンする)…その割にセンサーにホコリが盛大でクリーニングに時間がかかった、長く放置されていたので油脂と埃が固まっていたのだろう(カメラ店なので外装は綺麗にしていた)。

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レンズの実力は古いNIKKOR 24-120mmF3.5-5.6Dより少し落ちるが、ともかく合格点だ。ズーム比に無理があるようで、どうしても絞り開放では画質がいまひとつで少し絞ってF5.6~F8で撮影するのが良さそうだ...この点ではD810には持っているレンズの中ならSIGMA 24-105mmF4/artと組み合わせるのが良さそうである(このあと既にテスト済み)。24mm/F4開放/AWB

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逆光には現代レンズとしては弱い部類だ。画面に入らなくてもゴースト・フレアが出る…フード必携、そして画面で確認することだ。24mm/F8/AWB

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順光で近くなるとどうだろう。かなり良くなる。24mm/F5.6/AWB。今では平凡だが当時の3600万画素は素晴らしくシャープに感じたものだ。センサーの構造やエンジンの進歩により、今の2400万画素と同じぐらいにしか感じられない。下は上の画像を切り出したものだが、よく写っているし立体感も立派なものである。巷間ではミラーレスの時代と言われ、メーカーも一眼レフは開発をしない方針らしいが、使ってみると(このところRF機と一眼レフばかり持ち出している)残り少ない写真家人生の間は使えそうである。もちろんミラーレスも持っているので必要な時は持ち出す。

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