寺巡り

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大御堂観音寺

今日は小雨の中、近在の寺巡りとした...田辺:観音寺(普賢寺)の国宝:十一面観音像と田辺:寿宝寺の重文:十一面千手千眼観音像を拝観した。いずれも観光寺ではなく、静かな田舎の寺である。観音寺の蓮池のハスは小振りの花が真っ白で、雨の中点々と咲いていた。

寿宝寺の庭のソテツとサルスベリ、いずれも手入れが行き届いていて美しい。どちらの本尊の観音像も非常に貴重かつ珍しいもので、観音寺のものは天平時代の乾漆像で日本に二体しか残っていない国宝である(そして保存状態はすこぶる良い)。寿宝寺のものは実際に千手ある千手観音像は全国で三体しかなく(ここも保存状態は良好)、それらをガラス越しではなく間近で見られ必見の価値がある。

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寿宝寺

Nikon Z6 NIKKOR Z 24-70mmF4、すばらしく良く写るカメラだ。

 

沖島の旅の終わり

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路地を抜けると(西岸から東岸まで徒歩でたったの3分)もう港近くだ。今は埋立で浜は広くなったが、以前は背後がすぐに湖岸であった。沖島は湖の有人島という珍しさだけではなく、歴史の宝庫でもある。それらのお話しは次回としよう。

集落は大きいとは言えないが四方に伸びており、寺社巡りも含めると1日では詳細に回れない(今回は半分)。何度もやってきて、季節折々、また時の経過による変化…そのようなことを考えたい。さて連絡船が到着、帰路に就く。

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Leica M9の独特の色味(AWBとセンサー&エンジンによる)は好みがあるだろうが、それも味があり(フォトグラフ=光画...見たままだけではない絵)、優等生となったM10と共に使っていきたい。

 

いっぷくどう

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西岸の真ん中は東岸と比較的広い平地でつながっている(つまりヒョウタン島のくびれた部分の平地)...このあたりは人の住む家が多く、ここも現在営業中の民宿「嶋の家」だ。ここは自家製の鮒ずしが売りで、以前に浜から家の前で鮒ずしの仕込みの最中に訪問し、たくさん話が聞けた。

そして村中へ...狭い平地なので家がビッシリ建っている。路地を向こうに抜けると東の浜である。ここに島で最初のカフェ「いっぷくどう」があり、不定休ながら(ほぼ土日で天気の良い時しか開けていない)10数年営業を続けている。古い民家を少し改造しただけの素朴なカフェだが、静かで昔の漁家の風情が残されている。家の腰板や看板は本物の舟板の転用である。コーヒーとケーキのセットは本物であった。昨年、筆者も偶然に出川哲朗氏の「充電...」のロケにここで遭遇した。

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出川哲朗の充電させてもらえませんか?琵琶湖をグルッと125キロ!目指せ彦根城 Part 2 - YouTube 「いっぷくどう」のシーンに少し出ている。

エリ漁

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行き止まりまで歩いたので、町の中心へ引き返す...西のウミを見ると琵琶湖名物エリ漁の仕掛けが見られる。やや南を向いているので、対岸は比良山系から左に低くなり比叡山系が見えてくる。

足元を見ると西風のため、風波が打ち寄せていて護岸の岩に砕けている。シダレザクラでもないのに(多くがソメイヨシノ)何の都合か湖水面近くまで桜並木が枝垂れている。

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どちらの写真もLeica M9の特性が出ている=波に日があたった場所のような強くて尖った輝度差があるとハイライトの縁にマゼンタの縁取り(擬色)が出るのである。ここまで圧縮すると分かりにくいが、上の写真では右下の波のキラキラに、下では左下の岩の上のキラキラに出ている。擬色が斑点や輝点で現れるのは具合悪いが、ハイライトの縁にキラリと現れるのは悪くない…。

 

沖島総合自動測定局

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更に湖岸を北へ歩く...北からの風が強く、葦がなびいている。初夏だというのに肌寒いぐらいだ…北の福井と滋賀の県境の山から吹いてくる風で、国境地帯は近畿でも有数の豪雪地帯で奥山の雪がまだ残っているのかも知れない。

正式名称:沖島総合自動測定局(水質だけではなく大気汚染他も測定するらしい=現在休止中)に着いて、護岸も道もここでお終い。ここから先は山が直接ウミに落ち込んでいて、岸を歩くことも不可能である。遠くに見えるのが湖北:近江と若狭の国境の山々だ。

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下水処理場と畑

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短い西岸北向きの家並みを過ぎると(それでも営業中の民宿が一軒ある=ここでは自家製の鮒ずしが食べられる)石材採掘場跡へ道が伸びている。途中には島の下水処理場があり、漁師が生業である島民の「ウミを汚すな」の精神が感じられる。先般も書いたように滋賀県で最初に下水化100%を達成したのは沖島なのである。この道も途中で終わっており、島を巡っている訳ではない…しかしこの道沿いがサクラの名所で春になると筆者も毎年やってくる。開花期が年によりまちまちで(気温や日照だけではなく、湖の温度も関係しているため)、3年に1回程度しか本当の満開には立ち会えない…それでも来る。

ここが道の突き当たり、採掘場跡である。山の形が変わるほど掘っている…このあたりも他の場所と同様、元は山がウミに落ち込むような地形だったが、採掘により(良質の石材が採れた)かなり広い平地と段丘が残され、ここを島の女性達が畑として開墾したのである。最初に来た2000年から毎年見ているが、女性達の高齢化にもかかわらず少しずつ畑は広がっている。電柱が立っているのは山の向こうに県の無人水質検査所があるためである。そのおかげで電柱から電気を取ってイノシシの食害防止の電気柵が所々に設けられている。元はイノシシは居なかったが、近年本土からウミを泳いで渡ってきて、繁殖もして被害も増えているそうだ。何しろ島の面積の大半は道もない自然林のため、昼間山に住んでいて夜に畑に降りてくるイノシシの本質的な駆除は至難なのである。

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参考:2014年の満開時の写真…サクラに囲まれて、ほとんど無人の浜で弁当を広げると気分の良いことこのうえなし=筆者は人混みを好まないのである。これはα6000+SONY E18-55mm。...今年のサクラは去年の台風の被害で幹や枝が相当痛んだため、これほどの元気はなかった…快復するのに10年ぐらいかかるかも知れない。もちろん小規模ながら苗木の植林も実施している。

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西の浜に降りる

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擁壁と最後の家の狭い隙間を抜けると、もう浜だ…ここから左に2-3軒の廃屋があり、行き止まりの道は草が生えて通行も困難だ。この浜への小径も右側は家が建っていた場所で、かすかに基礎や石垣が見える。左は野草に見えるが小さな畑である。

浜へ出て、浜沿いの道を歩くと畑仕事のおばあさんに出会った…荒れているように見えるが、ここも立派な畑で自家用の野菜や花を作っていた。特に島の人は花作りに熱心で、四季折々どこにでも花が咲いている。向こうに見える家並みは西岸の北へ伸びる集落だ。山の新緑も美しい。

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Leica M9...絞りが開くと周辺光量が落ちるし、一見彩度が高くも見えるし(実際は渋い)、色乗りが良くて映画フィルムのような独特の風合いである。

 

沖島西岸を南へ歩く

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西岸を南に…神社の山が迫っているため、4本の家並みの中では最も短い。しかし住んでいる家は多いため生活感が濃い…ある家の玄関には京都と滋賀の県境にある猿丸神社のお札が貼ってあった。沖島の島民は信心深いといつも感じている。

左が神社の山の断崖(家の傍まで急角度だ)…しかしここでも人は住んでいる。この家はまったくの偶然だが、同行の友人の知り合いの実家であった。中から「上がってお茶でも...」と言っていただいたが玄関口で少し話して遠慮した(帰りの船の時間があるためでもある)。本当はジックリ島の暮らしを聞きたかったと後悔している。

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このあたりの描画が何とも言えないCCD-Leica M9の個性である。M10も敵わないと思われる。いわんやLeica M Typ262の出番はなさそうに思われる。M9/M10/M Monochromeの3台でこと足りると....。

 

民宿:湖上荘

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沖島南西側の道の終点...連絡船が就航した翌年の2001年、友人達と沖島に渡ったとき、当時唯一の民宿に無理を言って湖魚料理の昼ご飯を作ってもらった(東海方面から来た友人達は「鮒ずし」に目を白黒させていた)。ここもその後(連絡船ができたので釣り客も日帰り可能となった=元々観光客はなく、泊まりの釣り客を民宿が船で本土へ送り迎えしていた)営業を休止したようである。道の突き当たり付近のため、破船の残骸や建材の腐ったようなものが向こう側に積まれている。

さて集落の中心に戻り、今度は北西の浜へ回ってみる。こちらは戸数は少ないものの廃屋も少なく、生活感は多く見られるようになる。向こうは比良の山々、遮るものがないため比良降ろしが吹き抜け、年中風が強い。冬になると日本海から山を越えてきた北西の季節風が強くなり、島の中では風波が大きくなる場所である。

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上水道浄水場

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南西方向の家並みの外れへ向いて歩く。島は「ひょうたん島」でふたつの島がくっついた形になっていて、真ん中のやや広い平地からX型に4本の家並みが浜づたいに伸びている。貝殻に覆われた小屋があり、これはカキ養殖ではなく(ここは湖)淡水真珠の養殖の小屋跡だ(今も多少やっているように見える=しかし何十回も来ているのに作業しているのを見たことがない)…日本の真珠生産は海でのも含めて、現在は中国や南洋真珠に押されて衰退している。淡水真珠は琵琶湖でも広範囲に養殖されていたが今は見られなくなった。向こうは近江八幡・伊崎寺のある山塊。

そして島の浄水場、この付近では琵琶湖の水も綺麗なためウミから汲み上げて浄水し各家庭に送っているのである。北西側の浜には下水処理場もあり、滋賀県では沖島町が最初に下水浄化100%を達成した。

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